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本気で人を好きになったことがありますか? [私の精神論]

 さて。
 あまりにも久しぶりの更新。
 前回の更新は、「春なのに」のレポート。千秋楽レポートが4月18日ですから、早2カ月も前の話です。
 久しぶり過ぎて、何を書けばいいやら…。
 ネタがないことはないですが、下書きに入れたまま、気付けばもう旬を過ぎたネタばかり。
 しかし、6月10日は猫たぬきの誕生日&ブログ誕生記念なので、書かなくては、と。

 このブログを立ち上げて、早4年が過ぎております。
 今年の3月5日には、めでたく「200000アクセス」も突破しました。(現在、217179アクセス)
 これもひとえに、この気まぐれブログを読んでくださる皆さまのおかげでございます。
 書き始めたときは、毎日ひとつお題を決めてコラムを書くと意気込んでおりましたが、それも何やら気まぐれに滞り始めて、芝居にのめり込み始めてからは、舞台の告知しかしないというていたらく…。うう…。
 そんな今現在の猫たぬきの近況はと言うと…。

 ひょんなきっかけから始めたアルバイトと、ひとつの物思いに囚われて、毎日が慌しく過ぎて行きます。
 アルバイト…。
 これは社会勉強の一環と言うと、会社に対して失礼ですが、当然ながら仕事に対するプロ意識は持ちつつ、人間観察の絶好の機会であると思って始めました。
 そして、もうひとつ。
 物思いとはズバリ……、

 「恋」、なのですね。

 年中誰かを好き好き言ってる猫たぬきですが、当然ながら「好き」と「恋」は別物で、好きな人=恋の相手、では決してない。
 情熱的で身も心も蕩かし焼き尽くしてしまう恋というものを、好きというヒトコトではとうてい表現出来るまい。

 そう。
 これから書こうとしている台本のテーマが、ズバリ「恋」に関するお話。
 私が今まで書いてきたものは、家族愛のお話や、子供たちの成長話とかが主で、ガラリとテーマを変えて、人が死ぬとか殺されるとか殺伐とした話。
 リアルな男女の恋バナというのは、書いたことがない。
 この台本。企画の話をもらってから、2カ月弱。
 直しの期間、稽古の時間などを考えたら、今月末がタイムリミット。
 未だにぼんやりとしか浮かんでこない登場人物と格闘しながら、恋について考えています。

 「人を殺したことがないから、殺人者の出てくる話は書けません」とは、どの脚本家も言わない。
 もちろん観る側も人を殺したことがないわけだから、殺人者の気持ちが超リアルじゃなくても、話に入っていける。
 しかし。
 この世に「恋をしたことがない」という人は、あまりいない。(先日、約一名「初恋の思い出がない」という人を知りましたが)
 なので恋する気持ちがリアルでないと、話に入っていけない。つまり共感出来ないわけですね。
 キャビアやフォアグラの味を明確に知らなくても、オムライスやハンバーグは誰もが一度は口にしたことがある。味の良し悪しは、誰にでもわかるということで。

 恋、恋、恋。
 誰もが経験してる、甘さと切なさと苦しさをごちゃ混ぜにして、今、生きているエネルギーをすべて使い尽くすほどに情熱的なもの…。
 冷静に分析出来る恋なんて、恋じゃない。
 逢いたい。逢えない。
 好き。苦しいくらいに好き。
 逢えない時間が積み重なるごとに、逢いたい気持ちが加速を付けて膨らみ続けていく。
 失くしたら、どうにかなってしまいそうなくらい狂おしい想い。
 そういう、「恋」。
 
 …そういう話が私に書けるのだろうか???

 最近、人に言われた言葉でリアルに胸を貫いたのは、

 「本気で人を好きになったことがある?」

 というセリフ。

 「本気で」
 何をもってして本気というのかわからないが、大して多くない過去の恋を思い出してみても、私はいつも真剣に人を好きになってきた、と自分では思っている。
 真剣に、本気で好きになってきた…と。
 でも。
 私を観察して、「本気で人を好きになったことがある?」と質問するということは、その人から見ると、私には、恋の本質がわかっていない、と見えたのだろうか。

 人が人に惹かれる。
 人を好きになる。
 恋に落ちる。
 それは、ほんの一瞬で。
 その瞬間に、世界が変わる。
 相手が、世界で一番いとおしい人になって、相手が今ここに存在するという事実だけで生きていける。
 逢えない時間は、身の置き所がなくて、常にフワフワと宙に浮いているようで、それでいて切なくもどかしい。逢いたくて、逢えなくて、相手を想うほどに苦しくて、それなのに。
 逢えた瞬間、側に居て同じ空間で同じ空気を吸っている、ただそれだけで、逢えなかった時間の寂しさが消えて、心が熱く満たされていく。
 好きで好きで、苦しくて切なくて。逢えたらそれだけで身体が震えるほど、涙が出るほどに幸せ…。
 それが、私の恋だなぁ、と。

 …何だか書いたものを読み返してみると、自分で自分に「中学生か!!」ってツッコミ入れたくなるような、身も心も焼き尽くす情熱的な恋とは程遠い感じがしますが、これが私の恋。
 そういや昔も、「恋に恋してる状態」と誰かに言われたなぁ…と、思い出したりして。

 「好き」の定義もたくさんあるけど、「恋」の定義は、もっともっと難しいようで。
 方程式もない。処方箋もない。
 当然、正解も間違いもない。
 常識とかモラルとか、誰かに反対されたとか邪魔されたとか、そんなことでは引き裂けない想い。世人が否定する恋でも、本人が幸せならば、それは恋なのだと思ってる。(犯罪以外)
 感情というものを、自分でコントロール出来なくなる。
 それが恋のすごさでもあり、怖さでもある、と思ってる。
 ホンの中に出てくる登場人物たちは、過去にどんな恋をして、今の人生を歩んでいるのか?
 人生の指針、核となる想い。恋。
 そういうホンが書きたい。

 そのためにも、自分の中で、リアルな恋を思い出す…。

 今現在、恋をしてない人も。
 結婚してる人も、してない人も。
 暗い夜空に浮かぶ美しい月を眺めながら、昔の恋を思い出してみるのはいかが?
 不器用でも、拙くても、一途で一生懸命だった想い。
 その想いが純粋だったからこそ、人生の中で最も恋は輝くのである。

 もちろん、思い出すことと過去に囚われるのとは違う。
 過去は過去として、歩んでいくことが大事。
 恋に落ちると一瞬で世界が変わる。
 いつか世の中が変わることを望むより、自分が世界を変えることを選ぶ。
 恋はそんなパワーを秘めている。
 これを読んでいるあなたも、明日誰かと恋に落ちてるかもしれませんよ。
 願わくば、その恋が、あなたにとって不安ではなく、幸せを生み出せる存在でありますように…。






ハッタリで渡る人生は、楽しいギャンブルである。 [私の精神論]

 ひとつの事柄の中に、真実はいくつあるのでしょう?

 どうも、いらっしゃいまし。
 シンガポールスリングなんて、いかがですか?

 お茶ではなくお酒を登場させるあたり、ちょっと酔ってます、猫たぬき。
 本日は、静岡のライブバー、フリーキーショウにてデートです♪
 相手は言わずと知れた、K氏。
 なんのこたぁない、水曜いきまshowの見学および舞台の下見なのでした……。
 当然ふたりきりではなく、もうひとりの役者と、なぜか偶然あまる氏が彼女を連れて現れたりして。何だ、みかん遊演団の飲み会か? という雰囲気。薄暗がりのカウンターで隣同士飲んでいても、妖しさはまるでなく、私がK氏に酔ってからんでいるとしか周囲には映らないだろうと思ふ。
 う~ん(--) 「デート」はまだまだ遠いなぁ……。
 さて、本日のお題。どうせいつも前フリ関係ないんだから、皆既日食の話でしょ?……と、思いましたか? いえいえ、誰もが書くようなことを書くのはつまんない。あえて、日食はスルーして。(ただの天邪鬼?)本日のお題、「口にすることで、初めて気付くこと」です。

 話せばわかる……とは犬養毅の言葉ですが。
 世の中には、話してわからない人もいれば、話すことすら拒否する人もいたりして、ホントいろんな人間がいます。人生、割と長いこと生きてきてるつもりですが、K氏のような人とは初めて出逢ったかも。
 K氏と私の間に共通の言語が存在しない、というのは「違和感のある出逢い 水と油の良い(?)関係」で書いたけれど、本当に「会話」するのに苦労する。
 こちらが言いたいこと、あちらが言いたいこと、まるでかみ合わないから、「いや、それはそういう意味じゃなくて」とか「言葉は単語ではなく文脈で読み取るように」とか、いちいち講釈が入る。
 ……大学の講義じゃないんだから。
 何せ、会話が暗号のようなのでね。
 あまりに抽象的な答えばかり続くので、謎かけよろしく「……して、その心は?」と問いたくなる。
 いくつもいくつも質問を重ねて、相手の回答も何だかよくわからなくて。全身全霊をかけて解りたいと思ってるのに、理解出来ないのが悔しくて。対立しようにも、会話が合致しないと意見を言おうにも言えない。
 これはもう、性格の違いとか、頭の構造が違うとか、そんな次元の問題じゃないような気がする。そう、人間ではないような。未知なる生物を観察しているようにも感じる。
 私は宇宙人の存在を信じているし、もうすでに地球上にいると思っている。(缶コーヒーのCMの、トミー・リー・ジョーンズではないけれど)
 もしかして、K氏もそのひとりなのではあるまいか? と疑ってしまう。(飛躍しすぎ?)
 こんなに難解なひとなのに。
 それでも、知りたいと思ってしまうのは何故だろう?

 明確に理解していることがひとつだけ、ある。
 K氏は、やはり紛れもなく「私の書いたものを、私が思う通りに表現してくれるひと」だということ。

 やっとこさ台本の第一稿があがり、稽古が始まったのだけど。
 K氏には、説明がいらない。
 ときどき、ほんの一瞬、鳥肌が立つ。
 「何で、こんなに私がイメージする通りにホンを読むんだ?!」
 以前、あまる氏が、「ホントですかぁ~?」と懐疑的に言ったが、それを覆すだけじゃない。
 今回の台本は、セリフのイメージがフィリップ・マーロウで(自分の妄想満載でキャラ設定してます)あんまり日本人が言わないような気障な台詞回しや、通常書き言葉でしか使わないセリフも書いている。ゆえに、前の役とは違って台本も覚えにくいし、演じにくいはずなのに。(役の設定が、普通の精神状態ではなく、演じることで何とか精神を支えてるというものなので)
 K氏は、稽古になると、さらっと出来てしまう。
 何でなんだ?
 私と感性が似てる? ……いや、それはないだろう。
 性格が似てる? ……ありえない。
 唯一、台本を通して会話出来る、ということか?
 ん? 台本を通してしか、会話出来ないということか?
 何て意思疎通の困難な関係なんだろう。

 それでも。
 猫たぬき、負けない!!(←この暑苦しい熱意が地表温度を上げている気がしないでもない)
 どんなにうっとうしいと思われても、メンドクサイと思われても、私は会話を仕掛けていく。
 相手を知るためには、相手から情報を得るしか手段がない。
 質問を変えて、言葉を変えて、相手から引き出せるだけの言葉を引き出して。
 何度もしつこく繰り返していると、ときどき、ほんの一瞬、会話が繋がるときがある。
 そういうときって、すごく嬉しい。
 推理小説の話だったり、好みのキャラクターの話だったり。国語の解釈の仕方だったり。
 もちろん、話が繋がっても、すべてが解りあえるというわけでもない。
 「そうそう!!」と同意したかと思えば、「考えが浅い!!」とけなされることもあるし、「それは違う」という見解の相違もあったりする。別に私の考えすべてに賛同されたいわけじゃないから、見解の相違は大いに結構。
 それが、「会話」というものさ。

 さて。ここからが、今日の本題なのですが。(今から???)
 すっかり夜が明けて、もう午前六時をまわっているので、とりあえず寝ます。酔いも醒めてきた頃なので。
 おやすみなさい……。

 昨日の続きを書きます。
 今回、長くなりますね。皆さん、ついてきてくれてますか?(昨夜脱落したヤツが言うな)

 私は、台本を書き終えたあと、紙にプリントアウトして自分の声を出して読んでみる。
 会話が繋がってないというのは意図的だとしても、気持ちが繋がってないのは困る。で、これは声に出して読んでみるとよくわかる。自分で生み出したキャラクターでありながら、「恭介は、この瞬間こういう気持ちなんだ」と改めてわかることもある。
 今回の台本は、自分が妄想上で作り出した膨大なシーンやセリフを、約半分から三分の一に削って出来ている。(話に関係のないシーンも無駄に妄想してるので……)そのため、台本だけで他の人に伝わるかどうか、っていうのは微妙なところなのが問題。追加説明しなくても解る台本が書きたいといつも思っているのだけど。(筆力不足やね)
 「口にすることで、初めて気付くこと」、
 台本のセリフもそうだし、日常生活で発する言葉も同じではないだろうか。

 昨日のK氏との会話の中で、私が言った言葉。

 「私はウソとハッタリで生きている」

 これって、自分の人生だなぁと、口に出して言ってから初めて思った。
 あ、これには若干、解釈が必要ですな。言葉だけで捉えたら、私ってトンデモナイ人間だと思われてしまう。(いや、今でも充分トンデモナイ人間ですけどね……)
 
 「ウソ」……というのは、これは人につくウソではなくて。
 自分をだますという「ウソ」である。
 通常、「自分にだけはウソをつけない」というが、それは事実でも、自分にウソをつき、「だます」ことは出来るのである。(これもまた謎かけのようだが)

 自分の性格は、自分が一番よく知っている。(はず)
 だったら、自分のマイナス要素をプラス要素に変える「ウソ」を自分につく。
 例えば、私は弱い人間で、人見知りで、どちらかというと引っ込み思案な人間である。(それこそがウソだ!!と言われるかもしれませんが)
 そんな自分をだまし、対外的に強く見せたり、物怖じせずに人に積極的に話しかけたり、足が震えていようとも、手に汗をビッショリかいていようとも、それを隠して強気にニッコリ笑ってみる。
 すると、その「ウソの自分」が、「本当の自分」に思えてくる。
 決して演じているわけでなく、ウソだけど、ウソじゃない。なりたい自分をイメージして、そのイメージを追いかけて自分をけしかける。「ウソ」というより、「マインドコントロール」というか、「暗示にかける」というか。これはもうウソではなく、ハッタリと同義語だと思うのだが、どうだろう?
 
 「ハッタリ」。
 時として、人生にはハッタリが必要だと思っている。
 やりたくないことは絶対にやらないけれど、やりたいことは、たとえハッタリかましてでも、自分の手元に引き寄せたい。
 難解なものや自分の能力以上のものを提示された場合、「無理です」と言ってしまえば、そこで話は終わってしまう。「出来そうにないけど、やってみたい」と思うものは、自信ありげに「出来ます!!」と言ってみよう。
 やったことないのに?
 どうやって?
 どうするの?
 そんな疑問はこの際、どっかに置いといて。
 今、この瞬間を掴まないと、どんどんやりたいことは逃げてしまうから。
 ハッタリでも何でもいいから、「出来ます!!」「やります!!」と言うべきだ。
 チャンスも、ひとも、すべて偶然に巡ってくるのではなく、必然に出逢うのだとしても、今という機会を逃してスルーしてしまったら、二度と出逢えないかもしれない。それは、もったいなさ過ぎる。
 そんなことして大丈夫? と思われるかもしれないけれど、「出来る」と本能が勝算を訴えるから、口を突いて「出来ます!!」と言えるのだ。つまりは、「出来る」と言った瞬間、本当は、もうすでに半分出来ている。あとの半分は、やる気である。
 以前K氏が、「やると言ったことはやりますよ」と言ったことがあるが、それも同じ理屈なのかな。
 もちろん、彼の場合は、きちんと裏付けされた自信であり、ハッタリじゃないと思うけれど。
 自信を持つためには、その自信を裏付けするための陰なる「努力」が必要であり、ハッタリには「度胸」が必要なのである。(……努力しないイイワケか?)

 ウソでも本当になるように、ハッタリも、やる気しだいで本物になる。
 最近、競馬ネタを書いてないけれど、良血馬だけがダービー馬になる権利があるわけじゃない。
 ゲート前でのチャンスは各馬みな平等。ゲートが開いてからの二分ちょっと、ゴール板を駆け抜けるまで、どの馬が勝つか誰にもわからない。
 やる気と運次第で、何が起こるかわからない。
 先が読めないからおもしろい。
 口に出して初めて、自分の人生って結構ギャンブルだなぁ……と気付いてしまった夜でした。

 そういえば、書いてて気付いた。
 去年の今日。
 2008年7月23日は、フリーキーショウ「水曜いきまshow」で、劇団午後の自転の役者さんたちと一緒に、「グラス一杯の夢」を演った日でした。

 「楽しかったこと、辛かったこと、忘れられない思い出が全部、このカクテルの中に溶けている。時が経てば、すべてが懐かしく、いとおしく思える日が、きっと来る……」 
 ……とは、主役の那津子のセリフですが。

 昨日の次に今日がある。今日を一生懸命生きて、明日が来る。思い出というのは、その毎日の積み重ねですな。
 みんな覚えてるかなぁ?
 あれから一年……。
 それ以後、頻繁に連絡を取ってる人、疎遠になった人、いろいろいるけれど。
 今年もまた、いろんな人と出逢えた。去年から今日までの時間の中に、たくさんの思い出がある。一日一日を大事にしていくことは、心地良い思い出を増やすことでもある。
 そしてまた、一年経って「水曜いきまshow」で演劇が出来る幸せ。
 出逢いって、人と人との繋がりって、本当に不思議なものですね^^;
 

 冒頭の言葉。

 「ひとつの事柄の中に、真実はいくつあるのでしょう?」

 これもK氏との会話の中で出てきた言葉。
 私とK氏では、意見を異にしたが、まだ双方納得のいく結論は出ていない。
 さて。これからゆっくり考えてみよう。


 それではお茶にいたしましょう。
 酒を飲んだ次の日は、なぜか熱い日本茶が旨く感じる。(私だけだろうか?)
 新茶(まだ残ってた)をいただきましょう。
 それではまた次回、お逢いしましょう……♪



違和感のある出逢い Ⅶ 水と油の良い?関係。 [私の精神論]

 人は、何のために生まれてくるのでしょうか?

 ……猫たぬきが、何を哲学的なことを?! とお思いでしょうか^^;
 本日6月10日は、猫たぬきの・・・歳の誕生日&ブログ三周年記念日でございます。
 そろそろ誕生日が嬉しいという年齢ではなくなってきましたが、それでも携帯で「おめでとう♪」のメールがあると素直に嬉しい。「生まれてきて良かった」と思うのは、誰かが自分の存在を認めて、喜んでくれることに尽きるのではないでしょうか?

 いや~、2006年から三年。よく続けてこられたものだと自分でも思ってマス。
 しかも最近は、ほとんど更新もせず、書くことといえば舞台の話や演劇の話ばかり。前のように、一本のコラムをじっくり書く余裕がなくなっているにも関わらず、多くの読者さまが過去記事を読んでくださっているようです。気付けばアクセス数も159000を超えていて、最近は、戦国乙女(戦国小説を愛読する女性)なる方々の出現の影響か、ほぼ毎日誰かに「夢幻」が読まれているようでして、信長好きの私としては、嬉しい限りでございます^^; 
 拙い記事、小説、お読みくださっている方々、本当にありがとうございます。
 これからも、更新回数は少ないかもしれませんが、精一杯書いていきたいと思ってますので、どうぞよろしくお願いいたします♪

 一年目の記念日、二年目の記念日、どちらも何故かネタは「生まれてきた意味」がらみ。
 年に一度の誕生日という日は、何故か「誕生」という神秘について考えさせる日なのだな、と感じています。
 さて。
 三年目の今年は、どんなネタでいきましょうか……?

 ひとつ、爆弾発言をしましょうか。
 猫たぬき。今、「好きなひと」がいます!!

続きをどうぞ♪



違和感のない出逢い Ⅵ 突撃!! ガストでティータイム(笑) [私の精神論]

 すでに「シリーズ化」していると言っても過言ではない、「違和感のない出逢い」第六弾!!(笑)
 今回は、ketaさんとお逢い出来ました~♪(^^)ノ
 ちなみに、タイトルはお察しの通り「突撃!! 隣の晩ごはん」からです。ウチにヨネスケさん来たことないけどね~(笑)
 

続きをどうぞ♪



「生きる」ということの独断的持論。 [私の精神論]

 今月初めての更新です……って、もう11月最終日ですが(笑)

 どうも、いらっしゃいまし。甘いキャラメルティーでもいかがですか?

 いよいよ明日(もう数分後)からは師走ですね。
 今年最後の月。
 昨日、静岡の演劇実験室(さまざまなカタチの演劇を観られる小劇場)「伽藍博物堂」さんへお芝居を観に行きました。昼公演は伽藍博物堂さんのお芝居。夜公演は、今年7月に「Freakyshow」の水曜いきまshowで公演したお芝居「グラス一杯の夢」を、ご一緒させていただいた「劇団午後の自転」さんの公演。その受付に参加させていただきました。
 静岡には、いろいろな小劇団があり、その劇団ごとに個性があり、芝居が違う。
 芝居の「空気感」も、「匂い」も、「メッセージ性」も。
 「言いたいこと」も、「伝えたいこと」も、その「伝え方」すらも。

 役を演ずるとは、舞台上でしか生きられない登場人物の人生を「生きる」ことである。

 さて。
 テレビドキュメンタリーなどで、「生きる」ことを表現するのに、しばしば「死」が使われる。
 「生」の反対語が「死」であるから、「死」をまざまざと目の当たりにすることで「生」が際立つ、という演出効果なのか。
 しかし、である。
 我々人間(と命あるものすべて)は、生まれた瞬間から、死へ向かって歩んでいる。
 ヒトの死亡率は100%である。かつて「死ななかった」人間は、ひとりたりともいない。
 つまり、「死ぬ」ことは、「生まれてきた」からには避けられない現実なのである。
 だからなのか、私の感性がおかしいのか、私は「死」をもって、「生」が感じられない。
 本日のお題「生きるということの持論」です。鉄は熱いうちに打て、今心で感じたことは瞬時に書け、ということで。北海道旅日記の「競馬編」は次回に書く……だろう。(←非常に希望的観測)

続きをどうぞ♪



「ロス:タイム:ライフ」に学ぶ、人生論。 [私の精神論]

 どうも、いらっしゃいまし。
熱々のチョコレート、飲みませんか?

 土曜の深夜枠ドラマ「ロス:タイム:ライフ」、ご覧になりましたでしょうか?
 私は当然見ました!! 何せ第三話は、敬愛するミスター鈴井貴之氏の演出、平成の怪物(大泉洋氏命名)安田顕氏の解説ナレーション、森崎リーダーも出ている、「ドラバラ鈴井の巣」みたいな番組ですもの!!
 何かね、最初のナレーションがいいの。
「あなたは、最近いつ、家族一緒にスキヤキを食べましたか?」っていう、フレーズ。
 この「ロス:タイム:ライフ」は最初からずっと見ています。一話・二話は昔のサッカー選手の名言から入ってるのですが、この三話、何だか最初からジンとくるこのフレーズ。掴まされるなぁ・・・。
 あ、ネタバレはここまでで、ビデオに録っててまだ見てねぇ!! という方はご安心を(笑)・・・とは
いえ、もう第四話は明日ですから、録画してる人もすでに見終わっていると思いますが。
 本日のお題、「もしも時間が戻せたら」です。

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違和感のない出逢いⅢ 新年会&未知との遭遇?! [私の精神論]

 どうもいらっしゃいまし。
 和菓子とご一緒に、一服いかがですか?

 さて。
 新年一発目の更新が「石を産んだ」という記事で、それからまったく更新ナシ・・・。今年は「更新を多く!!」と誓ったにも拘らず、このていたらく・・・。
 ま、そんなこんなですが、とっとと更新を。
 今回のお題「未知との遭遇?!」です。・・・抽象的なお題だなぁ(笑) このお題にたどり着くまで、かな~り長い気がします・・・。

続きをどうぞ♪



違和感のない出逢い Ⅱ [私の精神論]

 どうも、いらっしゃいまし。
今日は、何のお茶を差し上げましょうか?

 ・・・9月。そう、世間ではもう9月なんですね。
 前回の更新から一ヶ月以上・・・、そろそろ数少ない読者の方々にも「猫たぬき、死んでんじゃねぇか?」と思われているであろう今日この頃・・・。
 いえ、生きておりますのよ。生きてはいるのですが・・・。
 
 7月半ばからの北海道滞在から、8月初旬のぶらり東北の旅。それからは静岡の猛暑いや酷暑にやられっぱなしの常時夏バテ状態で。8月は、一体毎日何をしていたんだか?思い出せないほどバテておりました。そして、9月・・・。
 そう、9月には猫たぬき主宰の一大イベント(そんなたいそうなもんか?)「水曜どうでしょう愛好会in猫カフェ」を開催予定だったのである。
 今回のお題、「違和感のない出逢い Ⅱ」です。

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「読み逃げ禁止」・・・は、いかがなものか? [私の精神論]

 どうも、いらっしゃいまし。
春の香りのするお茶など、いかがでしょうか?

 今日は、昨日の嵐のような風とは、うって変わって一転、ポカポカ陽気でしたな。
 春近し、というところでしょうか? しかし週末は雨、しかも風が強い荒れ模様だとか・・・。年1回の高松宮記念なのにぃ~!!(>。<)ノ ←競馬の話かいっ!!

 さて、今日はお馬さんのお話でも、「水曜どうでしょう」のお話でもありません。
 ニュースでおもしろい記事を読んだので、それについて書きたいと思います。
 ワラクシ猫たぬきが、「無類の機械オンチ」「文明についてゆけない愚か者」ということは、このブログのご常連さまは、とっくの昔にご存知のことと思います。
 なのでmixiなるものが、よく理解出来てないのですが、このブログのようなものなのですかね?
言ってみれば健全な友達探しサイトなのかな? 昔風に言えば、文通相手(古っ!!)探しをネットでするようなものなのでしょうか。
 その中で「読み逃げ禁止」なるものが声高に叫ばれている・・・らしい。「読み逃げ禁止」を堂々と宣言する人もいるらしいし、「地雷バトン」ってのは、一体何ぞや?
 本日のお題「世の中、自分の考えを押し付けすぎじゃないか?」です。

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素直になれるか、なれないか? [私の精神論]

 どうも、いらっしゃいまし。
お茶を一杯いかがですか?

 これも「愛バナ」の領域になるかもしれませんが・・・。
 世の中の人間関係は、すべてこのひとことで言い表せるような気がするんですな。
 「素直になれるか、なれないか?」・・・ってやつ。

 恋愛関係も、夫婦関係も、親子関係も、あらゆる人間関係、何もかもすべて。
 「ありがとう」と「ごめんなさい」のふたつがあれば、大抵解決出来てしまうのではないだろうか?
 もちろん、人を殺して「ごめんなさい」では済まないし、会社の信用を潰すことをしておいて「申し訳ない」では済まないことは、重々承知の上でモノを言ってますよ。
 本日のお題「相性が合うとは?」です。何だか最近、検証系が多いなぁ・・・。

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