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静岡の自然と未来を考えよう!!プロジェクト Ⅰ ~安倍川Workの旅~ [静岡の自然と未来を考える話]

 蛇口をひねれば水が流れる。
 日本では、それが当たり前のようになっているけれど。
 ……その流れる水の最初の一滴を、ご存知ですか?

 どうもいらっしゃいまし。
 
 猫たぬきが何真面目なこと言うとんねん。とお思いでしょうが、ワタクシ、根は至って真面目なものでして。とくに、最近知り合ったあるプロジェクトチームに、ライターとして参加させていただくことになり、その方々と話しているうちに、ノー天気な私もいささか感化され、「地球という星」のことについて考えるようになりました。

 さて。今回は真面目な話。
 「エコ」……という言葉。
 エコポイント、エコカーなど連日聞きますし、「明日のエコでは間に合わない」という何かのCMのフレーズを思い出しますが、そもそも「エコ」の本来の意味は? 「地球に優しい」なんて、上っ面を飾ったような言葉の、一体何が「地球に優しい」のかしら? ……と、常々思っていた。

 本当に優しいのは「地球自身」である。
 地球は、我々地球で暮らす動物たちに無償で自然というこの上ない素晴らしいものを提供してくれている。
 なのに我々は、地球の懐深い優しさにつけこんで、やりたい放題。
 地球という大きな土地の地主(大家)に対し、お礼として家賃に見合うものをお返しするどころか、物言わぬのをいいことに、森林を伐採したり(もしくは人間が勝手に手を加えて生態系を狂わせたり)、海は埋め立て、挙句の果てには戦争まで引き起こす。木は枯れ、山は荒れ果て、作物を育む土は死んでしまう……。
 これを賃貸マンションに例えると、許可なく勝手に床板剥がしてリフォームしたり、部屋を壊滅状態にまで破壊することと同じ。人間同士なら、大家が怒鳴り込んできて弁償しろと叫ぶのは必至。
 しかし、地球は何も言わない。怒らない。じっとされるまま、成り行きを窺っていた。
 やがて。
 やりたい放題のツケが回ってきた。
 そのひとつが「地球温暖化」だ。
 これに一番困るのは、本当に地球だろうか? ……いや、我々人間自身である。
 「地球に優しく」なんてキレイな言葉で飾っているけれど、これも「エコ」ではなく「エゴ」。自分たち、人間が快適に住めなくなるから、困っているのである。

 荒れ果てた山や、汚れた川や海を見て、大人は言う。
 「昔は、きれいだったのに……」
 自分たちが幼少の頃に思いをはせて、ため息をつく。
 確かにそうだ。
 少年が老人になるまでの長い時間をかけて、人間は自然を破壊し、その代わりに今の便利な生活を手に入れたのだ。
 しかし、言ってる本人たちも、地球からの恩恵をぞんざいに扱ったひとりである。
 私も、あなたも。人間はみんな加害者。自然を少しずつ破壊しながら生きている。
 もちろん、自然保護団体や自然と共存したいと願う人たちも数多くいる。しかし悲しいかな、それ以上に、自分たちが自然破壊しているなんて考えずに、もしくは知らずに生活している人たちも多くいるのだ。
 知らないのは、自然破壊に加担するのと同じことだ。
 悪気がないだけに、余計に始末が悪い。
 人間が生きている、ただそれだけで自然を破壊していると気付かなくてはならない。
 動物には欲がない。生きるに足りる分だけの狩りをし、草を食み、死んだら土に還る。自然から恩恵を受けた分、自然へと同化していく。
 人間には欲がある。自然や資源という地球からの恩恵を、我が物顔で食い荒らし、挙句の果てに権利を争って奪い合う、悲しい現実。
 地球という星に住まわせてもらっている、という謙虚な気持ちなどどこにもない。
 今、自然はどうなっているのか?
 空気も、水も、あるのが当たり前で、それが汚れているのに気付かない。
 嘆いたって、今すぐ山はかつてのように戻らないし、川も海もきれいにならない。
 「明日では間に合わない」のは、「エコ」という流行り言葉ではなく、我々人間の「意識」である。
 ……もちろん、こんなことを書いている私も、自然を破壊して生きている人間のひとり。
 「地球に優しく」というキャッチフレーズは好きじゃないけれど、買い物にはマイバックを持参する。割り箸を断る。リサイクルをする。節水を心がける。ゴミをなるべく少なくしようと工夫する。小さなことからコツコツと。そんな当たり前のことはとっくにやっている。でも、それだけでは全然足りない。「意識」だけでは補えない。ひとりひとりの意識を高めることはもちろん大切だけど、もっと大きな力で自然と向き合わなければ、毎秒増え続ける国の負債と同じように、自然が破壊されていくのを止められないことも知っている。

 さて。
 最初の一文を思い出してみましょう。
 蛇口をひねれば、水が出る。
 それが当たり前の日本で、「この水は一体どこから来るのだろう?」とあまり深く考えない。
 しかし、「今日当たり前」のものが、「明日も当たり前」だとは限らない。
 何もしないままでは、何も変わらない。
 人間が生きていくのに、空気と同じくらい大切な水。
 私たちは、もっと水のありがたみを知らなくちゃいけない。

 静岡を脈々と流れる川、安倍川。
 その伏流水は静岡市の水道水にも使われている。
 この安倍川が、その源流のある山が、今、どんな現状になっているか? 
 考案したのは今回のプロジェクトを立ち上げた人「チームけいすけ」(←今私が勝手に命名した安易なチーム名)の宮澤けいすけさんだ。

 彼は静岡の市会議員さんで、自然、その生態系について非常に熱心に考えている。
 山の問題(間伐などの手入れ)、木を育む土の問題、それに伴う川への影響(土砂や土石流、砂防ダムなど)、海の海岸侵食を防ぐために投入される大量のテトラポットの問題……。

 水の流れは、高いところから低いところへ、滞ることなく流れているのに。いろいろな問題は、山で、川の途中で、海へ流れるまでに、あちこちで滞っている。
 それはなぜか?
 環境問題、公共事業の問題点を考えるときネックになるのが、管轄の違いだ。
 山や河川の上流は国、中流・下流は県、海はまた国と、それぞれに管轄が異なる。
 それぞれ自分の管轄しか管理しないから、上流がどんな問題を抱えているか? 下流のどこが困っているのか? そこに暮らす人にはわかっていても、国や県はすべての実情が把握できない。わかっていても管轄が違うから手が出せない。
 問題も、川の流れのように一筋で考えるべきではないのか?
 明日では間に合わないのは、「意識」だ。
 国の意識、県の意識、市の意識。
 この、本来は水の流れのように単純明快な図式をややこしくしている現状を訴えたい。それには、まずは始まりの水、「一滴の雫」を知ってもらいたい!!と考えたのが、「安倍川Work」だ。

 山を、川を、海を守るために。
 その場しのぎの場当たり的な対応ではなく、子供の世代、孫の世代、100年後の日本のために、今からやらなければならないこと。
 川の流れのように滞ることなく問題解決が出来れば、税金を無駄に遣うことも減る。自然の大切さを訴えながら、同じ志を持つ人たちの協力を得て、自然を守る団体や企業をPRし激励したい。
 そのため、我々が生活する山のふもとから、安倍川の源流まで川沿いを歩いて、安倍川の現状を見ていこう!! という試みである。問題提起の場を、自分の足で歩き、目で見て、一歩一歩踏みしめながら実感してみよう、と。
 蛇口から流れる水を見て、「この水はどこから来るのだろう?」
 ふと、そう考えたあなたは、きっと自然と深いところで共鳴した人だと思う。
 今、山はどうなってるのか? 川はどうなってるのか? 海はどうなってるのか? 頭で考えるより、まず歩いてみよう。
 「チームけいすけ」では、9月20日から3日間。(9月20、21、22日)一緒に「一滴の雫」を見に行ってくださる、自然保護のことや、環境問題に詳しい方を募集しています。

    「安倍川Work」 日程予定表
 
 9月20日(日) AM5:00 出発

 安倍川河口~安部橋~JR橋~バイパス橋~賤機中学校~曙橋(牛妻)~龍西橋(津渡野)~玉機橋(油島)~平野橋(平野)~白髭神社(北沢)~渡本~梅ヶ島小中学校~金山トンネル~孫左島 ~金山温泉(17時到着予定)

   初日 約47キロ歩きます。
   金山温泉 宿泊予定



 9月21日(月) AM8:00 出発

 金山温泉~池尻橋~黄金の湯~梅ヶ島温泉入口~安部峠~安倍川源流最初の一滴(12時、到着予定)
 梅ヶ島温泉入口~黄金の湯

   2日目 約25キロ歩きます。
   黄金の湯 宿泊予定。



 9月22日(火) AM8:00 出発

 黄金の湯~池尻橋~孫左島~金山トンネル~梅ヶ島小中学校~渡本~白髭神社(北沢)~平野橋(平野)
 柿島(12時 到着予定)
  「エバーグリーンガーデン」にて、「安部奥の会」の皆さんと合流予定。


 現在、決まっているのはここまで。
 これから数回、安倍川会議を経て、9月20日(日)の「安倍川Work」を決行します。
 参加をご希望される方、その他費用などのご質問等は、上部左側にある猫たぬきに「メッセージを送る」でご連絡ください。
 「チームけいすけ」へお繋ぎいたします。

 無神論者な私ですが、自然の中には精霊がいると信じている。
 山には山の、木には木の、川には川の、海には海の、それぞれの精霊が、そこに静かにたたずんでいると。
 自然の中にいると心穏やかになれるのは、おそらくフィトンチップやマイナスイオンという成分だけじゃない。精霊たちの清らかで優しい心が、呼吸するたび静かに流れ込んでくるからだと信じてる。
 我々の側には、いつも自然がある。
 あまりにも近くにあり過ぎて、それが当たり前になって、ありがたみを忘れてしまう。
 なくなってから初めて大切さに気付くのでは遅すぎる。
 幻想的な安倍川源流の「ひとしずくの水」、その周りの自然は、人間の命の源なのである。



2009-09-14 03:42  nice!(2)  コメント(8)  トラックバック(0) 
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