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舞台「趣味の部屋」~何が本当で、何が嘘なのか?! [演劇の話]

 どーも、お久しぶりでございます。
 この間、ちょこっと更新しましたが、今日からきちんと復活します!!

 明けましておめでとうございます・・・という、間抜けな挨拶を、今頃、逢う友人知人関係にしてたりします。
 実は、年末に引いた風邪から喘息を併発しまして、二ヶ月ほど、ずーっと引きこもっていたのですな。
 「は? たかが喘息で?」と侮るなかれ。喘息持ちの方ならお解かりいただけると思いますが、咳の苦しみは相当なもので、24時間の中で咳をしていない時間を計ったら、果たして何時間あるんだろう? と思うくらい、常に咳が出続けている。寝ているときにも、時には呼吸が止まるんじゃないかと思うくらいの咳をする。アバラは日に日に痛くなり、折れてんじゃないか?と疑うほど。(実際、折れる人もいるそうですが)
 病院でクドクドと咳の辛さを訴え、咳止めの薬を強いものに変えてもらっても、即効性の効果はなし・・・。
 喘息は、一旦出てしまうと、処方された薬を飲み続けて、収束を待つしかないらしい。
 三月も半ばでようやく収まりがついたようで、今に至ります。

 で。
 二ヶ月間、ほとんど外にも遊びに行けず、映画も演劇も観られなかったわけですが(咳が周りの人に迷惑だからね)、つい先日、渋谷のパルコ劇場で、「趣味の部屋」を観てきました。

 実は、このチケット、プレゼントなんですな。
 ホワイトデーのお返し。

 去年の11月、私が書いた脚本「DOOR!」が、劇団摂河泉21さんと、演出家の東村先生によって、大阪で上演されたのですが、その後、血気盛んに次なる作品を書こうかと思いきや、気力を使い果たしたのか、風邪引いた挙句、喘息にまでなってしまうという、何とも不甲斐ナイていたらく・・・。
 まぁ、そういう状況を間近で見ていて、「良い舞台を観て今年もがんばれ」との意味を込めて、私が興味を持ちそうな舞台を探してくれたみたいです。(ま、当人が中井貴一好きというのもありますが・・・。私は、その演劇の話をされた際、まず聞いたのは「脚本、誰?」でした。どこに興味を持つかは、人それぞれですな)

 この舞台、「趣味の部屋」

 脚本は、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」、ドラマ「リーガルハイ」を書かれた、古沢良太氏。
 監督は、映画「世界の中心で愛を叫ぶ」、「北の零年」などの、行定勲氏。
 出演は、中井貴一氏、戸次重幸氏、原幹恵嬢、川平慈英氏、白井晃氏。
 
 一幕一場の舞台。
 一幕一場は、私の一番好きなスタイルの舞台。
 上演約二時間をノンストップ、リアルタイムで進むので、役者はみんな、ほとんど出ずっぱり、しゃべりっぱなしの、役者泣かせの舞台。
 しかもなになに・・・サスペンスコメディ?
 これは、期待できそう♪


 私も、自分が脚本を書く前は、ひとりの観客に過ぎなかった。
 観客のままでいるならば、好きな作品だけを観ていればいい。
 しかし、「一観客」から、「書く側」になる場合、考えることがある。
 それは「どんな作品が面白いか?」かもしれないが、面白さというのは、千差万別。
 コメディが好きな人もいれば、ホラーが好きな人もいる。感動できる話が好きな人もいれば、単に笑えるバカバカしい話が好きという人もいる。
 なので、自分が面白いと思ったことを貫くしかないと思う。
 だから、「一観客」という目線で、「どんな芝居が一番疲れないか?」と考えてみた。
 それは演劇のスタイル。
 一幕一場の舞台。
 役者は大変かも知れないが、このスタイルが一番観客が疲れず、尚且つ舞台に惹きつけられるのではないか? と、私は思っている。
 二時間ずっと観続ける方が疲れるのでは? と思うでしょうが、どんな舞台の中にも、観客を飽きさせず、惹きつける仕掛けがなされている。緊張を強いられるサスペンスでもミステリーでも、途中途中に息抜きを誘うシーンを挟み込んでいるものだ。観客は、舞台を観たくて劇場に来てるのだから、話にのめり込んでいる限り、疲れない。・・・と思う。
 もちろん、どうしても話の構成上、暗転したり、場面や時間軸などがコロコロ変わるものもある。
 しかし、暗転が多すぎると疲れるし、暗転した瞬間、集中力も途切れる。
 暗転は、舞台上の都合であり、観客の息抜きの時間ではないのだが、何となく暗転するとふっと集中力を途切れさせる自分がいたのは否めない。
 場面(や、時間軸)などが変わると、まず頭を整理して観なければ展開についていけない。頭の中で整理しながら観なきゃいけないので、イマイチ話にのめり込めない。
 もちろん演劇スタイルの好みもそれぞれだから、難しいものが好きな人もいろだろう。だが、暗転が長すぎると、客席でひそひそと声がするのは、集中力の途切れている証拠だ。
 書く側からすると、どんな芝居の中にでも、どこかひとつでも気に入ったシーンがあって欲しいし、共感する部分があって欲しいと願う。
 だからこそ、なるべく「疲れさせない芝居」を作ってみたい。
 エネルギーは、「観ること」、「何かを感じること」にだけ、注いでもらいたいと思うから。
 ・・・と。
 まぁ、私の意見はそれとして。
 舞台のお話を。

 チケットは全席指定なので、開場と同時に行くことはないのだが、私は映画でも舞台でも、開演ギリギリに駆けつけることはなるべくしない。
 席に落ち着いて、会場へ入ってくる客を観察する。
 客層を見ていると、どんな内容の芝居かもだいたいわかる。
 私は舞台を観る前に、パンフレットをめくることはしない。
 中身を知らずに観る方が好きなのだ。
 チラシには「サスペンスコメディ」と書いてあったが、サスペンスとコメディがどう融合するのか? 楽しみだ。

 客電がゆっくりと消え、場内が暗くなる。
 この瞬間が一番好き。
 ワクワクが最高潮に高まる期待感と、始まってしまえば二時間後には終わりを迎える寂しさ。
 この瞬間の相容れない複雑心理描写は、筆舌に尽くしがたい。


 さて。
 この舞台は、この後もまだまだ続くので、ネタバレは避けたい。
 なので、ネタバレはしませんが、詳しい内容はさておき、チラシに載ってる程度に軽く説明すると、「趣味の部屋」とは、その名の通り、「趣味をするため」だけに存在する、マンションの一室。
 その部屋の中で、男たちは、それぞれ自分の趣味に没頭する。
 しかし、その仲間のひとりが失踪したという情報から、仲間たちの心の中に「ある疑惑」が芽生え始め、予期しなかった意外な展開を見せ始める・・・。

 それぞれの趣味というのが、笑えるネタであり、かつ、伏線にもなっている。
 古沢氏は、本当に伏線の張りかたが上手い! 複雑に張り巡らされた伏線の糸を、ゆっくりと解いていく感覚は、この舞台を観なければ味わえない。
 観終わった後、ほんの少し、古いアメリカ映画、「デス・トラップ~死の罠」を思い出した。・・・と言えば、知ってる人には何となくネタバレになるかもしれません。

 もうひとつ、ヒントを。
 どんどん話にのめり込みながら、思い出したのは、人間の「3つの自分」というやつ。
 人間には、みっつの自分が存在するという。
 1つは、「自分の知ってる自分」
 2つ目は、「他人の知ってる自分」
 3つ目は。
 「自分も他人も知らない自分」

 1つ目と2つ目はわかる。
 だけと、3つ目は、自分でありながら、全く知らない自分が自分の中に同居するという不思議。葛藤。そして、恐怖。
 それは自分の中の別なる人格なのか? それとも直視したくないだけの真の欲望なのか?
 その3つ目の自分を知ってしまったら、何が本当で何が嘘なのか?! と、自問自答の日々が始まり、自分が自分である限り、死ぬまで終わらない。
 人間は、どんなに逃れたくても、「自分」からは決して逃げられないのだから。
 やはり、3つ目の自分は知らない方が幸せかもしれない・・・。

 ドラマや芝居でよく聞くセリフ、「他人は騙せても、自分は騙せない」というのがあるが、私はそう思わないんだな。
 例えば、暗示をかけるのなら、他人にかけるより、一心同体である自分にかける方が簡単そうだし、いやいや、もしかしたら、自分は騙されてないと思ってても、もうすでに、内なる「自分も他人も知らない自分」に騙されているかもしれないのだ。

 「何が本当で、何が嘘なのか?!」

 もし、この「趣味の部屋」を観たら、今一度、考え直すかもしれない。
 コメディの要素はたっぷりと含まれており、サスペンスの要素もある。しかも、これは上質のブラックジョークでもある。
 そして。
 最後の最後まで気を抜けないのが、この舞台。
 
 ラスト。
 主人公である、中井貴一氏が発するセリフにご注意。
 どんでん返しが、またまたどんでん返し? ・・・いや、それとも?!

 舞台を観た後に、きっとこう思うだろう。

 「何が本当で、何が嘘なのだ?!」

 もしかしたら、私もあなたも、この世に生きる人すべて、我知らず「自分も他人も知らない自分」に騙されているのかもしれませんね・・・。
 そう古沢氏に耳元で語りかけられたかのような、そんな上質の時間でした。




 舞台「趣味の部屋」は、


4月14日(日)まで         
東京公演~渋谷パルコ劇場

4月16日(火)           
福岡公演~福岡市民会館・大ホール

4月18日(木)~21日(日)   
大阪公演~森之宮ピロティホール

4月24日(水)
名古屋公演~旧名古屋市民会館・中ホール

4月26日(金)
長野公演~須坂市文化会館メセナホール・大ホール

4月29日(月祝)
札幌公演~札幌市民ホール
              

 何か千秋楽は、戸次重幸氏ファンで埋め尽くされそうですね^^;
 もしかしたら、敬愛するミスターが客席にいるのかも。うらやましいな。


 さてさて。
 とても良い舞台を観たら、やっぱり創作意欲が刺激されるものです。
 何か、とっても書きたい気分♪

 今年も何か舞台上演出来るような機会があればいいのですが、何せ営業が下手なので、依頼を待つしかない、貧乏な探偵事務所を開いているようなワタシ・・・。
 単なる「趣味」じゃなく「仕事」なら、営業も、もっともっと精進しなければね。
 がんばろ。

 



違和感のない出逢い Ⅷ 確信の不思議。  [演劇の話]

 皆さま、お元気でしょうか? 猫たぬきでございます。

 前回、前々回からの告知通り、去る11月9日、10日、11日と三日間、難波の上方ビルにあるトリイホールにて、日ナレ付属劇団、摂河泉21による舞台、「DOOR!~開けるべきか、開けざるべきか~」が上演され、滞りなく、千秋楽を迎えました。

 これを書いているのは、打ち上げが終わって、大阪、深夜のとあるファミレス。
 公演の三日間は難波で宿を取ってたのですが、打ち上げは千秋楽の日じゃなくて次の日だったので、帰りのチケットを変更して、大阪で宿取るかと思ったのですが、ホント、私は深夜族。
 公演三日間も、宿に帰っても寝付けず、シャワーを浴びて、どうにかこうにか無理にでも寝てしまおうと布団に潜り込んでも、2時間眠ると起きてしまう・・・。ベッドにいるより、風呂に入ってる時間の方が長かった気がする。なのに、チェックアウト近くなると眠くなるんだから、たちが悪い。
 長いこと昼夜逆転生活を続けていると、世間一般の時間には身体が機能しないなぁ・・・。
 いつも思う。
 ホテルって、どうして、昼3時チェックイン、朝10時チェックアウトなんだろう?
 夜型人間だっているはずなのに、なぜ深夜12時チェックイン、夕方5時チェックアウト、みたいなのを作らないのだろう・・・? 夜ホテルの部屋で仕事して、朝眠って昼に起きて、ゆっくりお風呂に入って、遅いランチを食べてからチェックアウトしたい人だっているだろうに。
 世の中は、やっぱり多数派の感覚だけで運営されるものなのね・・・。
 ・・・てなわけで、宿を取らずに深夜のファミレス。
 打ち上げ会場から店まで案内してくれた財津さん、辻井さんもお帰りになり、ひとりファミレス。

 
 深夜のファミレスは嫌いじゃない。
 深夜の散歩が大好きで、普段でも、気が向いたら、パソコン片手にふらりと出向くこともある。
 今回は、荷物が多くてパソコンを置いてきたことを悔やみながら、手書きで、このブログの下書きをすることにする。
 鉄は熱いうちに打て、感動は余韻が大きいうちに書け、と。
 ・・・しかし、手書きってパソコンの三倍時間がかかるなぁ・・・。

 さてさて。
 ・・・お? 猫たぬき、さっそくブログでネタバラシか? と、お思いでしょうが、そこは、天邪鬼な猫たぬき。そうやすやすと書くわけがない!!(笑)
 今回は、まだまだ序章です。この舞台で、10作くらいかけるくらいネタはあります。
 しかも、今日のブログは長いです!! 気合無き者は、脱落するでしょう。
 そうですな、今回はまず、舞台のセットと照明からご紹介しましょう。
 お芝居を観に来ていただいた方には、復習として。(何の?)
 観に来ていただけなかった方は、想像を駆使して、頭の中で舞台を描いてみてくださいませ♪

 

 今回お世話になる劇場は、普段は寄席などを多く上演するホール。座席数もそんなに多くはないので、チケットは日時予約制となっていました。
 私は今回初めて、脚本で参加させていただいたので、摂河泉21さんの芝居チケットの売れ行き状況はわからなかったけれど、予約状況では、楽日の夜公演を残して、すでに満員御礼という、盛況っぷり。
 せっかく三日間お世話になるのだからと、軍手持参で劇場入り。
 スタッフの手が足りないところをお手伝い(足手まとい??)しながら、舞台裏をみせていただいていると、当日予約が入ったりして、急遽座席を確保するため椅子を増やしたり、通路を狭めたりなど、試行錯誤をしながら、予想を上回る集客数に。
 連日の満員御礼で、ホールの管理人さんから、「舞台でこれだけの集客は初めて」との嬉しいお言葉をいただきました。
 
 座席を予想以上に確保出来たのは、三方向に客席を作れる舞台セットのおかげ。
 今回、舞台美術を手掛けてくださったのは、大阪で活躍する柴田隆弘氏。
 ものすごくお忙しい人らしく、結局私はすれ違いでお逢いできなかったのですが、私が想像するお人柄は、それほど現実と違いはないと思う。

 ホールに組まれたセットを見た瞬間、心の中で、「(この舞台)勝ったな・・・(フッ)」(何に?!)と思いました。思ったというより、それは確信に他ならない。
 なぜなら、その目の前に存在する異空間は、脚本を書きながら私が想像していた以上に、テーマや、伝えたい意図を的確に捉えたもので、脚本行間から想像しなければ、絶対に出来ないだろうセットだったから。
 作品を生み出す人は、その作品を見れば、そのひとがわかる。
 セットを見た瞬間、大好きになった。

 「DOOR!」から察するに、壁一面の無数のドア、ドア、ドア!
 しかも、それは単に描かれた絵ではなく、立体的に作られたドア。
 パステルカラーのかわいらしいドアは、そのドアの向こうにどんな人が住んでいるだろう? と想像を掻き立てる、見てるだけで楽しくなるようなドア。
 そして、廊下を挟んで、客席側は、主人公、貴之の住んでいるアパートの部屋の再現。
 六畳分ほどの大きさの板間のワンルーム。

 そして。
 ポツンと立てられている、枠だけのドア。


 さて。
 この「枠だけのドア」が、何を意味しているか、おわかりでしょうか?

 
 もちろん、セットを組むのは「観客が観やすいように」ということが大前提です。
 客席はひな壇を作って後ろの人も観やすいように配慮し、今回の舞台セットは、中央の貴之の部屋を、観客が囲む形で、三方向に客席が作られています。
 廊下を歩いてくる人物が、どの位置に座られた観客からも見えるように、との配慮でもあると思います。
 しかし、それなら、ガラスのドアでも構わない。
 あえて、「枠だけのドア」にしたのは?

 それは、脚本の行間にしか書かれていないこと。

 柴田氏は、舞台美術の世界で大きな賞をお取りになった有名な方、と前情報としてお伺いしていましたが、そんな肩書きを聞いていなかったとしても、きっと私はこのセットをみた瞬間、「すごい人だ」と思ったはず。
 実際、ドア枠だけだとわかった瞬間、鳥肌が立ったもの。
 この話には、この舞台美術セットでしかありえない。
 私の想像の中のあやふやな感覚が、今、目の前に現実にカタチになって存在していた。
 なんとも、違和感のない表情で、息づいている。
 一瞬にして、「これを作った美術さんは、すごい人だ!!」と確信しました。


 貴之の部屋は、何の小道具もない単なる板の間。
 観客の気が散る要素になる家具などは何もない。それは私が脚本上で示した、役者泣かせの指示。
 この舞台は、魅せる役者と、この素晴らしい美術セット、あの抽象的なドアだけで、いい。

 「なぜ、あのドアなのか?」
 その謎がわかる方は、きっとこの舞台「DOOR!」を観て、200%楽しめた人であろう。


 さてさて。
 場当たり稽古が済んだら、お待ちかねのゲネプロ。
 師匠には、「作家が客席に居たら、役者が緊張する」とご忠告をいただいたにも関わらず、ゲネプロから公演の三日間ずっと、客席で観させていただいてました。(またまた役者泣かせ・・・)

 客入れの時は、壁一面のドアに照明が点いている。
 ちょうど、家の明かりが外へもれている感じ。
 パステルカラーのドアの向こう側に住む人々。幸せそうな家の明かり。思わず、「ただいま」と、そのドアを開けたくなる。
 芝居が始まると、場内は暗転する。音楽が高鳴り、そのままフェードアウト。すぐさま、激しい雨と雷の轟音がして、芝居が始まる・・・。

 この芝居、一幕一場、しかも深夜から早朝という時間帯。
 私は、ほとんど照明のことを考えておらず(照明やってるくせに?)、シナリオにも「夜」とだけしか表記していない。
 それを、今回の照明を担当してくださった徳田芳美氏は、微妙な色調の変化で、役者の心理描写を巧みに表現してくださっていた。
 舞台を、役者を、より輝かせる明かり、色彩。
 それは、完全なるプロのお仕事。

 前に書いたブログ「恋に、似ている。~私が照明を始めた理由~」に、悔しい思いを書いたが、「悔しい」と思うのは、素人だからなんだなぁと痛感した。

 舞台は生き物である。
 どれだけこの日のために稽古をしていたとしても、舞台上では、どんなアクシデントがあるかわからない。
 役者がセリフを飛ばして、シーンを前後させてしまったり、丸ごとシーンが抜け落ちることもあるかもしれない。
 それでも。いつも、どんなときも、堂々としている。
 プロは、間違わない。
 何があっても、舞台上を色彩で支える覚悟がある。
 それは、培ってきた自信があるからだ。

 プロのプライドは、その自信に裏付ける努力が必要なのである。
 失敗したときに言い訳するのは、単なる努力の足りない素人なのだ。
 言い訳は、「逃げ」だ。
 プロは絶対に逃げ出さない。

 そう、確信した。
 またひとつ、勉強させていただいた。

 私は照明でプロにはなれない。
 しかし、脚本ではプロでいたい。
 脚本に関してだけは、絶対に逃げない。
 そのための、どんな努力も厭わない。

 『好きという想いが、私を走らせる』
 ・・・この表現が好きでよく使っているが、昔も今も、好きなもののために生きてる。
 好きなものは、リアルな想像。
 妄想も、想像も、単なる絵空事だけではない。
 想像力にリアルな感覚が伴わないと、誰の心にも響かない。
 今、この瞬間も、周りの人の会話、息遣い、空気感、すべてのものを吸収して、次の作品に登場する人物に繋げたいと思う。
 そう考えると、一瞬たりとて、無駄に出来ない。今の一瞬は、もう戻らない。
 今のセリフ、目の表情、カップを持ち上げたタイミング。
 今、目の前にいる人、横にいる人、この空間にいる人すべての呼吸を知りたい。
 口に出すセリフ、心の中にしまってあるセリフ、それを表す仕草。
 それを記憶しておくことで、私の中に血の通った登場人物が生まれる。
 「そんなことやってて疲れない?」と聞かれるが、それは私の中で、呼吸することと同じ。
 24時間、脚本を書いているわけじゃなくても、私は24時間、何かを考えている。寝ている間も夢をみる。それは、考えていたことの続きだったり、また別のことだったりするけれど。
 それが脚本のためになるかならないか、それはわからないけど、いつも、何かを考えながら生きていることは確かだ。
 私にはたぶん、これしか出来ない。
 こうすることでしか、リアルなセリフは書けないと思うから。

 脚本も、舞台美術も、照明も、舞台を支える屋台骨。
 舞台美術と照明が素晴らしく、拙い脚本を支えてくださって、本当にありがたい。
 舞台当日まで、お互い顔も素性も知らない三人のはずなのに、水面下のどこかで、想いが繋がっていたのではないかと感じるほど、それは見事に合致して、違和感がない。
 公演中、ずっと舞台を観ていた私の目を通して、深く、鮮明に、記憶に刻まれている。
 今でも、ふと目を閉じると、脳裏には舞台が浮かんでくる。
 役者の汗と、情熱と、照明の色彩、役者それぞれの、個性溢れる声で話すセリフも。
 三日間の公演で、舞台のバラシも終わり、すべてが過去となり、日常に戻っている。
 一瞬一瞬が過去となる。それはわかり過ぎるほど、わかっているはずなのに。
 私は未だ日常に戻れない。意識だけは、まだ夢の中にいるようだ。
 ボロボロになった「DOOR!」の台本は本棚にしまわれ、役者さんたちは、次の芝居に向けて新しい台本を手に取り、セリフを覚えている頃だろう。
 けれど、未だに私の中では、「DOOR!」が、深く息づいている。
 私は今も、貴之であり、倫子であり、後藤であり、詩織であり、哲平であり、里美であり、マリであるのだ。
 脳内にある情景は、とても鮮明なのに。
 触れられるくらい傍にあるのに、だけど決して触れられない。
 痛みの伴う夢のような、息遣いが感じられる幻のような、いや、それよりももっとリアルな何か。
 それを、一体何と表現すればいいだろうか・・・?
 



 さて。
 ここまでで、今日書きたいネタは約、半分。今、どれくらいの読者が残っているでしょーか?!
 「水曜どうでしょう」ではないですが、目がお疲れになった方は、一気にみる(読む)と、身体を壊す可能性がありますので、二日に分けて読むことをお勧めします^^;

 今回、大阪での舞台を喜んでいたのは、他にも理由があります。
 まさしく、「違和感のない出逢い」にふさわしい。
 実は、今回の舞台に、私のブログの数少ないご常連愛読者、だい吉さんが来てくださったのです!!

 私が不思議な力を持っているのか、はたまた単なる偶然なのかはわからないけれど、私は、逢いたいひとには、必ず逢うのである。
 それは、「いつか逢えるかも」という、希望的観測ではなく、「いつか必ず逢う」のだ。
 日本語的に考えれば、「いつか」の後に、「逢う」という断定的な言葉は続かないものだが、私の場合、なぜか「逢える」ではなく、「逢う」と言う方がしっくりくる。

 今回は、満員御礼続出なので、だい吉さんにも、チケット予約をしてもらっていた。
 しかし、しかしである。
 私たちは、お互いの顔を知らないのである。

 今回、客席案内のお手伝いをしていたので、開場すれば、私は劇場内でお客さまを迎える。
 顔を知らない、だい吉さんが入ってきてもわからないでは困るので、受付の人に、「この方(だい吉さん)が来られたら、(中に居る)私に教えてくれる? 顔を存じ上げないから、必ずお名前確認してね」と念を押すと、相手は「?」という表情をした。・・・う~ん、その反応、当然だよなぁ。

 私は神を信じない無神論者だが、縁とインスピレーションは信じている。 
 「このひととは、いつか必ず逢う」と思うと、いつの日か、必ず「逢う」のだから、本当は、おそらく、教えてもらうこともなく、入ってきた瞬間に「だい吉さん」だとわかるだろう。
 開場しても、だい吉さんは現れない。
 トリイホールの場所がわからず迷ったか? 
 それとも急なお仕事か? はたまた石が出たか?!(←また?)と、思っていたら、開演ギリギリに、だい吉さんが会場に入ってきた。
 場内は、すでに少しの明かりを残して暗転しており、音は止んでいた。
 案内してくれた受付の人が「この方です」と、目線で合図をくれた。
 しかし、その前に私たちは、顔を合わせた瞬間、お互い「だい吉さんだ」「猫たぬきだ」とわかっていたように思う。
 だが、ここで、「どーも、どーも」と挨拶出来る状況ではない。
 とりあえず、席についていただいて、まず芝居に専念してもらうことになった。

 まもなく完全暗転となり、曲が場内を包み込む。芝居の始まり。

 だい吉さんは、慌てて駆けつけ心の準備もないままの観劇だろうが、無常にも、芝居は進んでいく。
 この芝居、序場は展開が早い。
 果たして、理解していただけるだろうか・・・?
 
 いや、まず、だい吉さんは、「貴之!」と呼ぶ倫子のセリフに、心の中で爆笑したことでしょう。(なぜ爆笑するかわかったあなたは、間違いなく「どうバカ」です!!)
 つかみは、オッケイ!!(・・って、古っ!!)

 芝居は進み、ドタバタ場面から、一転してシリアスな場面に・・・。
 客席からは、ちらほら鼻をすすり、ハンカチを目尻に当てている人の姿も見える。
 舞台が終わり、客席ではアンケートを書いてくださっていたお客さまが帰り始めると、私は、だい吉さんに駆け寄った。

 「はじめまして、猫たぬきです」
 「はじめまして、だい吉です」

 何とも、奇妙な挨拶である。
 間抜けと言えば、これ以上、間抜けな自己紹介はないだろう。

 だい吉さんとのブログでのお付き合いは、もうかれこれ6年になるだろうか?
 ブログを始めてから、ほぼ最初の段階から、彼はもうブログ読者だった。
 水曜どうでしょうネタに反応していただけたのか、ブログ上のコメント欄でコメントのやり取りをして、いつしか彼が自分の携帯のメアドをコメント欄に載せるという暴挙に出て(誰かが悪用したらどーすんの?!)、それからは、メールでもやり取りを初めて親交を深めた。
 お互い、一度も逢ったことはないのに、彼の愛する大事な「嫁さん」さんのことや、愛息の「なおっさん」は、出産から育児状況まで知っていて、まるで違和感なく、遠く離れて住んでいる親戚同士のような感覚だった。

 彼は、まさに、メールやブログの人物と同じだった。
 名は体をあらわすというが、やはり、文章は人を表す。
 彼のやわらかい、あいきょう溢れる文章は、彼の風情に似ていた。
 ひと目で好感が持てるひと。
 それが、「だい吉さん」だった。
 彼からも、私は「思ってたイメージ通り」と言われたが、果たして、彼はどんなイメージを私に持っていたのだろう???(怖くて聞けん・・・)

 以前、「違和感のない出逢い」でお逢いした、これまたブログ仲間の、みこさん、kiyoさん、
kumasuさんも同様、出逢ってすぐ、自然と呼吸の合うひとたちである。
 逢ったことがないのに、逢ってすぐ「わかる」ひと。
 今や、星の数ほどあるブログの中から、何の接点もないのに、わざわざ私のブログを見つけ出し、何となくコメントしあう仲になるだけでも、すごいこと。
 それが、離れた土地から、逢いに出掛けることもすごいこと。
 でもきっと、それはどこかで、縁が繋がっているから。

 実際、4年前に、姫路で音楽学校の卒業公演のキッズミュージカルを書いたときも、だい吉さんにはお知らせした。
 その時は確か、仕事か何かで来られなかったが(公演が1日だけだったしね)、その時は、「残念だね~」とお互い言っただけで、それほど何かを感じなかった。だけど「もう逢う機会はない」とは思わなかった。
 その時は、まだ逢うべきときではなかっただけなのかもしれない、と。
 何の根拠もなく、確信していた。
 おそらく彼とは、いつかどこかで、必ず逢う、と。

 今回、キッズミュージカルの主宰者であった、音楽学校の先生も、この舞台を観にいらしてくれた。
 彼女とは、季節のお便りやメールのやり取りはすれど、お逢いするのは、キッズミュージカルからだから、なんと4年ぶり。でも、彼女とも、きっとまた必ず逢う、と思っていたので、今回もお逢いできた。変わらずお元気で、逢えてとても嬉しかった。


 『ひとは、出逢うべきひとと、出逢うべき時に、必ず、出逢っていく』
 と、私は常に思っている。

 人との出逢いは、そういう縁、不思議さを持っている。
 今回出逢った、舞台美術の柴田氏、照明の徳田氏、演出の東村氏、劇団 摂河泉21の役者さんたち、澪クリエーションの皆さまたちとも、そう。
 今回の脚本の話が来る、およそ半年前まで、双方、お互いがこの世に存在していることすら知らなかった。
 だけど私たちは、この同じ地球上で、同じ日本の地で、同じように朝を迎え、仕事をし、映画を見たり、本を読んだり、食事をしたり、恋をしたり、失恋したり、泣いたり、笑ったりしていた。
 真夜中に月と散歩・・・は、しないかもしれないが、満月の夜には、違う土地で、きっと同じように空を見上げて、月を眺めていたかもしれない人たちと、知り合い、一緒に仕事をし、作品を作り上げることになれるなんて。1年前には想像もしていなかった。
 しかも、今回の主人公「貴之」役を演じてくださった辻井芳暁さん、「哲平」役を演じてくださった有馬貴弘さんは、今年劇団に入ったばかりだとか。
 もし、去年の脚本を書いていたのだったら、出逢えなかったのかもしれない。
 それとも、別のどこかで、全く違う機会に、出逢っていただろうか。

 もしも・・・? は、いつでも想像の世界。
 ホントのようで、ホントではない。
 今回、この瞬間に、皆さんと出逢えたのは、何か意味があるのだろう。
 大阪と静岡、距離は離れているけれど、逢う、逢えないは、きっと、心の距離感。
 逢いたいひととは、どんなに遠くにいても逢うだろうし、逢いたくない人とは、ご近所さんでも逢わない。
 逢いたい気持ちが、逢う機会をつないでくれる。
 

 私は確信してる。
 だい吉さんとは、また必ず「逢う」だろうし、今回舞台で関わった人たちとも、いつかどこかでまた「逢う」だろう、と。
 想いは、縁を結んでくれる。
 そう、信じてる。

 



舞台『DOOR!~開けるべきか、開けざるべきか~』公演のお知らせ …おまけ 脚本『DOOR!』の出来るまで。 [演劇の話]

 お久しぶりでございます、猫たぬきです。
 前回の更新が6月!! 4ヵ月前ですなぁ。
 討ち入り予約していた「水曜どうでしょう」DVD第18弾が討ち入り開始の月、もう10月ですよ。
 どうバカの皆さま、もう討ち入りはお済みでしょうか?^^(←決してオフィスキューの回し者ではございません)

 さて。
 前回の記事の最後に、「今月末までに脚本を一本書き上げます!!」と宣言した通り、一本の舞台用脚本を書き上げまして、その脚本が採用されまして、何と来月11月9、10、11日の三日間、大阪の繁華街、難波の劇場で公演が決定いたしました!!
 いつもは何だかんだと意味のない前フリから、中身のない本編を長々と書いてから最後に告知するのですが、今日は、しょっぱなから告知ですよ。
 さあ皆さん、メモのご用意を!!(←深夜のテレビショッピング風にどうぞ♪)

日ナレ付属劇団
摂河泉21 第8回本公演

  『DOOR!』~開けるべきか、開けざるべきか~

(日時) 11月  9日(金) 19:00
          10日(土) 15:00/19:00
          11日(日) 14:30/18:00

     ☆受付・開場は開演の30分前

     ☆日時予約制(全席自由)

     ☆チケット料金  前売 2500円
                 当日 3000円

(場所) TORII HALL

       大阪市中央区千日前1-7-11 上方ビル4階
       TEL 06-6211-2506

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 ちなみに。
 「猫たぬきのブログを見て予約しました~♪」と言っても、何も特典はございません(笑)
 しか~し!! 当日、客席の猫たぬきを見つけた方は、舞台がはねた後、目の前に立ってひとこと、「よさこい号」という合言葉を囁けば、「もっと四国」と返します。そのあと、「いっそ九州」と返してくだされば、猫たぬきが一杯奢ります!! 
 合言葉の意味がわかる方は立派な「どうバカ」です(笑)
 ムダにアツイ「どうでしょうトーク」で難波の夜を盛り上げましょうぞ!!

 今回、演じてくださる「摂河泉21」さんは、日ナレの卒業生で、劇団員は「声」を生業とするプロの方々。普段は、ラジオのお仕事などをなさっています。
 私はアニメに精通していないので、あまり声優さんというものに馴染みがなかったのですが、普通の役者さんと違って、やっぱり「声」がすごい。
 声が商品なのだから当然かもしれませんが、個性が声に凝縮されている。掛け合いのセリフでも、それぞれの声の個性が消えない。
 今まで洋画はすべて字幕オンリーで、吹き替えは嫌、と思っていたのが、今回の仕事を通して、吹き替えによる「声の個性」というものを再確認出来たような気がしました。

 吹き替えが嫌いになった決定的なものが、古い話になるけれど、「タイタニック」が流行った頃にまで遡る。
 話題作過ぎて、超満員の中で観る気になれなくて、映画館では観ていなかった。DVDになったらレンタルで観ればいいか、と思っていたとき、テレビで吹き替え版が放送されていた。
 その吹き替えを担当したのが、ジャックが妻夫木聡氏で、ローズが竹内結子嬢だったと記憶している。これが…酷かった。
 妻夫木聡氏も、竹内結子嬢も、当時から演技が上手いと言われていた役者だったと思うが、声だけにするとあまりにも棒読み。ストーリーに感情移入も出来ない。プロの声優との力量があまりにもあり過ぎた。
 もちろん、役者の中にも声優と兼任する人も多いが、やはり両立出来る人は才能が違うのだ。生半可に手を出すものじゃない、と思う。
 あれからだもん。「洋画は字幕以外観ない」と決めたのは。(もちろん、その後、「タイタニック」は字幕版を観ました)
 でも、これからは「吹き替え洋画」も解禁。
 「洋画は、字幕と吹き替えの両方を観て二倍楽しもう!!」(←何の宣伝?)
 声のお仕事って大事だな、と思いましたよ。
 吹き替えの声ひとつで、作品のイメージ変わっちゃうんだもの。

 脚本家の仕事は、脳内で生み出した架空の人物を、紙の上、二次元の世界へ送り出すこと。
 その二次元の人物に命を吹き込み、三次元の世界へ送り出すのは、演出家の先生であり、その役を演ずる役者さんたちである。
 脚本が決定稿になった今は、私の手を離れ、演出家の先生や、役者さんたちに委ねられた登場人物が、舞台の上でどんな人生を生きるのか?
 声の素敵な役者さんたちが演じると、どんな風になるんだろう?
 公演まであと一ヶ月。今からとても楽しみにしています。

 さてさて。
 告知と長い前フリが終わり、ここからが無駄に長い猫たぬきブログの本編ですが、脚本のネタバレをしてしまうと面白くないので、舞台の内容については書きませんが、ちょっとだけご紹介しましょうか。(どっちやねん)
 「DOOR!」というタイトル通り、「ドア」から始まる物語です。

 公演チラシに載っている煽り文句は、
     『出て行きたい男の思いをよそに、勝手に入ってくる男、女、女…。
     勘違いと思い込み、男と女の会話は、微妙にすれ違って…。
     草木も眠る真夜中に、六畳一間で大混乱が巻き起こる!!』

 最近は二人芝居ばかり書いていたので、一幕一場の会話劇を書くのがクセになっているのか、登場人物が7人に増えたにも関わらず、この舞台、場面転換はありません。リアルタイムに物語は進行していきますので、観に来てくださる観客の方々は、セリフのない8人目の登場人物のように、臨場感も一緒に味わっていただけると嬉しいです。

 そうですな。
 今回は、猫たぬきの「脚本が出来るまで」を書きましょう。
 しかし!! しかし決してこの先を読んで「脚本を書く人間は皆変人」と決め付けることなかれ!! これはあくまでも「猫たぬき個人」のお話であります。

 脚本の最初は、脚色(小説や漫画などの原作を脚本スタイルに書き換えること)でない限り、何もないところから始まる。
 そう。
 すべては想像、妄想から始まるのです。
 ストーリーから考え始める人もいれば、時代や場面設定から考える人も、人物から考える人もいる。
 私の場合は、たいてい人物から。もしくは、ひとことの「セリフ」から。
 主人公は男か、女か? 年齢は? どんな性格? その性格は、どんな人生から生まれた? そのセリフは、どんな気持ちで発したものか? 突き詰めて考えれば考えるほど、登場人物は、自分の中でリアルになっていく。
 友人に、「妄想作家」「妄想爆発人生」と言われているが、あながち間違いではない。想像力、妄想力なくしては、脚本家の仕事は成り立たない。
 私の脳内に、リアルな人生を背負った一人の青年が宿る。

 脚本を書き方として、物語は、起承転結で出来ているので、きちんとした構成を作り、話のエピソードを積み重ねていく作業をし、始まりから展開させてエンディングに向かって進んでいくように物語を作っていく。
 登場人物が決まると、普通は、構成を組み、この起承転結に沿ってエピソードを積み重ね、ストーリーを固める作業をするのが常であるが、私はほとんどしない。人物設定の時間が8割を占めていて、人物が決まり、テーマとストーリーが決まり、何となくの物語のカタチが見えたら、エピソードうんぬんはすっ飛ばして書き始めていく。(このお手軽さが、のちのち自分を苦しめる羽目になるのだが…)

 しかし、苦しむことがわかっていても、シナリオ学校で習ったことを無視しても、こういう作り方をするにはワケがある。
 最初から最後まで物語を型にはめてしまうと、私の場合、セリフが出てこないのだ。
 セリフは、「生きて」なくては意味がない。と、私は常々思っている。
 私たちの人生が明日どうなるかわからないのと同じで、主人公が物語の中でどんなセリフをしゃべるのか、最初から決まっているわけではない。ひとつのエピソードで書き進めていくうちに、登場人物が動き始めて、セリフを語り始めるのだ。

 なので、一旦出来た脚本は、直せば直すほど、セリフが違ってくる。
 環境や話の方向性は同じでも、エピソードが変わると、セリフは変わる。意識的に変えようと思っているわけでないのだが。
 私が生み出した架空の主人公であり、脳内にしか存在しない人物であるが、いつの間にか彼らはそれぞれに意思を持ち、時には私に憑依したかの如く、私の口を使ってセリフを言わせるときがある。(夜中にブツブツとひとり言を言ってるさまは、客観的に見るとかなり奇異なものであると思われる)
 書いているときの私は、作者であり、ひとり何役もの役者であり、同時に一番最初の観客でもあるのだ。
 パソコンのキーを叩きながら、おのおののセリフを口にしながら、時には笑い、涙を滲ませ、エピソードやセリフにツッコミを入れている。
 草木も眠る丑三つ時、机の前、パソコンに向かっているが、慢性的な睡眠不足でハイになってるときなど、すでに自分が何者で、何をやっているのかわからなくなっているときがある……。
(注・当人の感想です。脚本家すべてが「おかしな人」なわけではありません)

 書いている間は、寝ても醒めても脚本のことだけを考えていたいので、書いている2ヶ月間は、頭の中に登場人物が雑居状態だ。おそらく書いてるときに、精神科の先生に会えば「多重人格です」と診断されるかもしれない…。
 決定稿が出たあと、脳内に同居していた登場人物たちは、「脚本 DOOR! 登場人物」のフォルダーに整理されて行ったが、時折、ふとした瞬間、頭の片隅のフォルダーから抜け出して、彼らのセリフが口をついて出てくるときがある。  
 そのとき、彼らのその後の人生を考える。
 舞台で演じられる芝居は、彼らの人生のほんのを2時間弱を切り取っただけだが、その後も私の中で彼らの人生は続いている。
 あれから貴之はどうしたのだろう? 倫子は? マリは? みんなは、今、どんな人生を生きているのだろうか…?
 悩んでも、泣いても、つまずいても。
 幸せだと思える人生であって欲しい。彼らを生み出した作者としては、そう願ってやまない。
 脚本を、登場人物を、私はずっと愛してる。

 人生は、楽しいことばかりじゃない。
 辛いことも、ままならないことも、どうしようにも抗えないこともある。
 だけど、みんな必死に生きてる。
 「ドア」で隔てた、他人との距離。
 その「ドア」を開けることによって交錯する、人と人の人生。

 「ドア」を開けるべきか? 開けざるべきか?
 その答えのひとつが、舞台「DOOR!」にある。

 観るべきか、観ざるべきか?
 それは、あなた次第である。


日ナレ付属劇団
摂河泉21 第8回本公演

  『DOOR!』~開けるべきか、開けざるべきか~

(日時) 11月 9日(金) 19:00
         10日(土) 15:00/19:00
         11日(日) 14:30/18:00

     ☆受付・開場は開演の30分前

     ☆日時予約制(全席自由)

     ☆チケット料金 前売 2500円
                当日 3000円

(場所)  TORII HALL
        大阪市中央区千日前1-7-11 上方ビル4階
        TEL 06-6211-2506

            地下鉄「難波駅」または「日本橋駅」下車
            なんばウォークB20 階段出口

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 大阪在住、もしくは、11月大阪へ行くご予定のある方、ご予約お待ちしております♪



恋に、似ている。~私が照明を始めた理由~ [演劇の話]

 こんばんは、猫たぬきです。

 今年は気が向けばちょくちょく更新しておりますので、お久しぶりです、というフレーズはありませんね(笑)

 さて。
 先日の6月10日は、猫たぬきの誕生日&ブログ開設6周年記念日でございます。
 6年を振り返ると、何にもなかったようで、いろんなことがありましたなぁ…。
 アクセス数は、ありがたいことに300000アクセスを突破しましたし、更新していない日にも、誰かしら閲覧してくださっている。
 私自身も、着付け教室に通ったり、映画を大量に観るようになったり…、しかし、一番大きな変化は、照明を始めたこと、かな。

 東京の学校で勉強して、プロ脚本家さんのアシスタントを経て、静岡に居を移した今、脚本家として静岡でがんばろう!!…と、たぶん6年前には思っていたと思うのですよ、当時はね。もちろん、今でも「本業は脚本」だと思っていますが、ほんの2年ほど前から、照明に興味を持ち始めて、今では、どちらに力を入れているのかわからないくらい好きになっている。

 最初に照明に恋をしたのは、2年前。
 当時知り合いだった照明さんが担当する、演劇のゲネを見させてもらったときだった。
 その照明さんは、登場人物がドアの向こうに消えて、ほんの少し遅れてライトを消した方が効果的なのでは?と提案した。
 「残り香のような印象が残る」、と。
 その時は結局、演出家の指示した今まで通りの照明で本番を迎えることになったのだが、私はその「残り香のような照明」が、忘れられなかった。

 今はもうなくなってしまったが、数年前まで静岡に伽藍博物堂という演劇シアターがあった。
 そこでは、毎年春に、いろんな劇団のユニット公演「春なのに」があった。
 私が「みかん遊演団」で脚本を書いていた頃、出演させてもらったことがある。
 裏方がいなかったので、私が照明担当することになった。照明…といっても、きっかけの明かりを点けたり、暗転したりという、簡単極まりないもので、当時の私は照明のことを、「単に登場人物の出入りきっかけのキュー的な役割と、段落の締めくくりの暗転でしかない」と思っていた…。

 しかし、「残り香のような照明」発言で、私の照明に対する思いが180度変わった。
 照明とは、確かに無くても成立するものかもしれないけれど、そこに世界観を持つことによって、観る人に深い想像力を提供出来る素晴らしいものなんだ、と気付いてしまった。
 そう。「たかが照明、されど照明」なのだ。
 何の意味もないと思えばそれまでだが、その灯りは、確かにそこに息づいている。その灯りに、もっともっと意味を込めてみたい。
 そして、思った。
 「私も照明をやってみたい!!」、と。

 人がひとたび何かを本気でやってみたい、と思って、それを口に出してみたら、何故か傍にいる人たちに伝わるのか、そういう機会や場を与えてもらえる。
 私にもありがたいことに、そういう奇特な人が傍にいて、素人照明を使ってもらえる場が出来た。
 あまり音楽に興味のない私が音楽ライヴの照明を担当するのは如何なものか?と自分でも思うのだが、大掛かりな規模のコンサート会場と違って、小さな音楽ライヴに関しては、音が一番肝心で、照明は演奏者の顔が映ればそれで良し、的なところが多分にある。
 その中で、演奏者や、演奏する音楽のカラーを考えて、空間に色を添える感じの控えめな照明で、修行させてもらう。
 褒めてもらえると嬉しくて、またがんばろうと思うし、照明は楽しかった。
 …が。
 照明に恋して2年め。
 とうとう、次のステップが訪れたようだ。


 先日、6月8日から10日まで、怒涛の照明ラッシュだった。
 毎日の睡眠時間が2時間を切ってる。そんな怒涛の三日間…。
 8日は、お寺でクラシックコンサートのお手伝い。
 この日は、他に照明さんがいたので、私は照明には関わらず、タイムキーパーとして、トランシーバー片手に右往左往しておりました。
 9日は、上に記した音楽ライヴで照明を担当させてもらってるお店の20周年パーティー
 そして10日は、静岡の演劇シアター、アトリエみるめでの公演。パントマイムユニット「maimuima」による番外公演「だだだっ!!」の照明。

 パントマイムは、豊かな表情と卓越した身体の動きで伝える、演劇のカテゴリーの一種。
 音楽ライヴと違って、即興で照明を変えられるわけでなく、きちんとしたキューシートに則って作動させなくてはならない。ダンスの要素も多分に取り入れられてるから、動きも多い。その動きに合わせて照明を変えていかなくてはならない。もちろん、音響との呼吸、タイミング、演者との呼吸、タイミング、すべてを考慮しながら、だ。
 それを、ほんの数時間で把握して、リハーサルして、本番なんて、本当に出来るのか?! いやいや、出来るのか?!と言ったって、代わりはいない。出来なくても、やらなきゃならないのだ。
 もし、プロの照明さんだったら、こんなことは当たり前なのかもしれない。
 「はじめまして」の状態から、キューシートを手渡されて、ほんの数時間で完璧にこなしてしまうのだろうけれど…。
 
 朝から現場に入って、キューシート片手に照明を動かして、演者の用意が出来たら、通しで音響と照明を合わせてみる。
 タイミングが合わなかったり、音響と微妙なズレがあったり。演者や演出の要求を上手く飲み込めなかったり…。お昼なんか食べてる余裕はない。キューシートとにらめっこしながら、パニックになりそうな自分を励まし、鼓舞し、音響のMちゃんに応援してもらい、何とか本番にこぎつけた。

 しかし。
 自分が思う通りのタイミングが取れない。微妙なズレがまだ残ってる。
 ある演目では、照明がきちんと行き届いてなくて、演者の表情が隠れるところがあった。
 演者を100%生かしきれない照明なんて、意味がない。
 エンディングが終わり、暗転したあと、私の中に残ったのは、圧倒的な悔しさだった。

 「もっと時間があったら」なんて、ただの言い訳で。
 本当言うと、「悔しい」と思うことすら、傲慢な気がしてくる。
 その程度の力しかないんだ。
 自分の力なんて、まだまだなんだ。
 それを認めないと、先へは進めない。

 今までのような「楽しい」で終わる照明じゃなく、「悔しい」と思う気持ちは、照明に恋してから、初めて持った気がする。

 照明も恋も同じ。
 「楽しい」で終わる時期は過ぎた。
 これからは、ケンカしたり、時には苦しくなるほど嫌な思いをしたり、そういう恋愛関係にも似た課程が待っている。
 それでも好きなら、続けるしかない。
 嫌になって別れるのか、好きと嫌いを繰り返しながら、続けていくのか。
 それは、私の「照明に対する想い」次第だ。

 そういえば。
 昔、「脚本」でも、同じ思いをした気がする。
 「楽しい」で書いてる時期は過ぎて、書くことが苦痛になりだした頃。
 自分に問うのはいつも「じゃあ、もう二度と書かない。お話も考えない。それでいられるか?」ということ。
 実際に書き始めるかどうかは別として、想像することは、すでに呼吸するように私の中で息づいている。頭の中で様々な登場人物が動き出し、セリフをしゃべる。
 それはもう、私の一部であり、それをやめることは、呼吸することをやめることに通じるような気がしてる。
 それほどに、私の中で「脚本」は大事なものになっている。
 これはもう、恋ではなく、愛なんだろうな…。

 それにしても私、何かを恋に例えるのが好きなんだな…。
 いつも何かに恋してる気がする(笑)

 さて。
 怒涛の三日間が終わり、1日睡眠時間2時間弱という生活もひと段落。
 恋してる「照明」とは、しばらくお別れして、これからは、愛してる「脚本」との生活が始まります。
 今月末までに、脚本を一本、仕上げます!!


 しばらくブログも書けませんが、猫たぬきは、6周年を迎えて、静岡で元気に生きてます。
 「おめでとうメール」を下さった皆さま、このブログを読んでくださっている皆さまに感謝。

 すべての皆さまにありがとう!!



「春なのに…2010」、4日目&千秋楽レポート。 [演劇の話]

 どうも、いらっしゃいまし。

 さてさて。
 「春なのに…2010」も、昨日の4月17日に無事、千秋楽を迎えました。
 全日程の受付を終了した瞬間に気が抜けたのか、かな~り腑抜けになりまして。日曜日は、久々に目覚ましナシでの起床♪
 タイトルでもお解かりのように、やはり、ここらへんでテキトウな性格が露出して、4日目と千秋楽レポートを一緒にしてお送りします(笑)

 4日目、4月16日(金)は、我らがみかん遊演団と、Ricky’s Stone の千秋楽。
 3日目レポートでもお伝えしたように、16日の予約状況は、演劇に携わる方が多く観に来られる予定。懐かしい方々に逢えるのは嬉しいですが、感想も、それなりにシビアなものになりそうです。
 折悪しく、金曜日は花冷えの雨…。
 この足元の悪い中、果たしてお客さまは来てくださるのだろうか? と、不安に思いきや…。
 何と…、満員御礼!!
 予備の椅子を持ち出すほどの大盛況。
 ホント、ありがたく思っております。
 14日の初日は、やはり緊張があったのか、役者がセリフを飛ばした箇所があったり、照明(ワタクシが担当)も、受付から照明に直行しアタフタした手際の悪さが出てしまったのですが、16日は「春なのに…2010」最後の舞台、ノーミスで演りきりたい。

 いったん幕があけば、舞台の上は役者の世界。
 脚本も演出も、何の手助けも出来ない。
 時の過ぎ行くまま、役者を信じて成り行き任せ。
 照明のブースからは、念を送ることしか出来ない…。

 初日と同じく、あまり笑い声もないままの観劇。
 いや~、演劇関係の方々は、どんな表情で観てるのでしょうか…?
 風邪気味のお客さまが多かったのか、遠慮がちな咳に混じって、盛大に鼻をすするお客さままで。あとで聞いたところ、この鼻すすってたお客さまは、実はみかん遊演団とも仲良しのクラウン。愛称はMッシュ。泣いてくれてたんですねぇ…。

「自分がどうしてクラウンになりたいと思ったのか?ってことを考えながら観てたら、泣けてきて…」

 …とは、帰りの車の中で聞いた、彼女のクラウンに対する真摯な気持ち。
 この「花の名前」に登場する、出来損ないのクラウンは、偽りの笑顔で道化を演じ、道行く人に元気を与えるという仕事をしているが、本当の自分は、心の傷を完治出来ずに、ちっとも本当の笑顔になりきれない。そんなとき、傷心の少女さくらに出逢い、元気付けようとしたり、いろんな話をしながら諭したり…。偽りのクラウンの顔から人間として心を開いて語りかけていくうちに、大切な何かに気付かされる…。
 誰かを笑顔にさせたいと思うことは、自分も笑顔になりたいと願うことと同じ。
 心がなければ、何も伝えられない。
 過去のブログにも書いたけれど、「笑顔はうつる」。
 猫たぬき家の家訓?は、「毎日意味なく笑ろとけ!!」という、楽観的なもの(笑)
 「笑う門には福来る」、暗い顔してるよりも、とりあえず笑ってたら、「気」の流れが、良い方向へ流れていくと信じてる。

 私は彼女のクラウン姿を一度しか観たことがないけれど、彼女のクラウンは、彼女にしか表現しえないものを持っている。
 人は、その人にしか持っていない魅力を必ず持っている。
 それが、個性であり、その人を語る本質であり、輝きである。
 自分で自分を偽ったり、心を閉ざしてしまわない限り、魅力は光るものなのである。

 さてさて…。
 ちょっと話が逸れてしまったので、本題に戻そう。
 今回は、レポートなのでね。
 では。
 その他の方々からいただいた感想から覚えてる限りピックアップしていこう。

「暗転多し。感情の動かない間は、間とは言えず(感情的に)入り込めない」
「どう見せたいのか?が、はっきりしない」
「重いテーマを重いまま見せられると…。もう少し違う見せ方があったのでは?」
「もっとシンプルにまとめた方が良かった」
「最初に話のテーマを見せ過ぎたため、途中が長く感じた」
「軸が2つ(主人公とクラウン)あるので、観てて戸惑ってしまうところがあった」

 …やっぱり演劇関係の方は、ツッコミも素晴らしいですね。
 昨日の「ややこしい」の他に、「暗転が多い」っていうのは、演劇に携わる人からすると気になるところみたいですね。他でも言われました。今後の課題にします。
 アドバイス系の感想が多かったので、他のものを挙げてみると…。

「ベタな話だなぁ…と思ったけど、まぁ良かった」
「話の中にグッとくるセリフがあって泣ける」
「2回とも観たけど、微妙に変わってるところがあって楽しめた」

 …と、いったところでしょうか。

 「グッとくるセリフがあって泣ける」…、すごく嬉しい!!(猫たぬきおだてりゃ木に登る~♪)

 私が脚本を書くとき、最も大切にしていることは。
 「まず気持ちがあって、セリフが生まれる」ということ。
 たとえ役者から、気障なセリフだとか、リアルじゃないとか言われても、このセリフは、私の内部から、私の中に存在する登場人物の口から発せられたもの。
 自分が何かに感動して、その感動を誰かに伝えても、おそらく半分くらいしか伝わらない。自分が心底、身体が打ち震えるほどの感動をしない限り、相手に深く伝わらないものなのだ。
 なので、私はモノを書くとき、自分の感情を高ぶらせないと書けない。(直し作業など、切羽詰っているときに関してはこの限りではない)
 私がホンを書くのは決まって真夜中。世人が寝静まった静寂の夜。月明かりの中に身を投じていると、自然と身体の内側から、自らが作り出した登場人物が語り始める。外郭から隔離され、話の中へと深くいざなわれる…。そうやって、最大限に登場人物の気持ちを乗せてセリフを紡いでいるからこそ、すべての人に解るものではないとしても、何かしら伝わるものが書けるのだと思ってる。

「惜しかったです」

 という、シンプル極まりない感想をくださったのはK氏ですので、今後、この「惜しかった」部分を、じっくり聞いてみたいと思います。

 厳しい感想、優しい感想。人の好みは千差万別、賛否両論、いろいろあるけれど。
 役者と観客が同じ空間を共有し、同じ空気を吸って、片や、役の人生を演じ、片や、その人生を見守る。
 伝えたいことは、カタチじゃなく、気持ち。
 どんな伝わり方でもいい、何かを感じてもらえたら…。
 やっぱり、舞台って素晴らしいですね♪(水野晴郎風にどうぞ)

 さてさて。
 みかん遊演団が終われば、お次はRicky’s Stone。
 彼のお芝居は、何度観てもおもしろい!!
 しかし、今回は今までとはちょっと違いました。
 観劇していた小学生のチビっ子たちに、絶妙なタイミングで、「なかなかおもしろいやん!!」的な、するどいツッコミを入れられて、場内は大爆笑!!
 …持っていかれましたなぁ、Rickyさん!!(笑)
 笑いと、ちょっとした切なさに満ちた、Ricky’s Stone の千秋楽なのでした。

 それにしても…。
 舞台が終わったらいつも、観客の前で、役者ひとりひとりの紹介というのがあるのですが、裏方の脚本屋まで紹介しなきゃならないものでしょうか…?
 「拍手」という賞賛は、目の前で演じた役者本人をこそ称えるべきものだと思うのですよ。
 脚本屋は、裏方。ライトを浴びることなく、星明子のように木の陰からこっそり見守っているものなのよ。(例えが古っ!!)
 まぁ、千秋楽の日は、ワタクシは音響方に徹して、舞台にはあがりませんでしたが…。(裏方は、裏方に徹しますさっ)

 さてさて。
 4月17日(土)の昼は、「春なのに…2010」の千秋楽。
 千秋楽のトップバッターは、初日にインパクト大の芝居を見せた、「DAVID」。
 前回は、この千秋楽のためにネタバラシをしませんでしたが、今回は書いても許されるでしょう。
 「白と黒、相容れないふたつが共存する時、奇跡が起きる」というフレーズ通り、ビジュアル系エコバンドの「DAVID」のメンバーのうち、ふたりが…。
 『朝、目覚めたら「パンダ顔」になっていた…』(笑)
 …カフカの「変身」を連想させますが、そういう要素はまったくなく、単純に笑えます。話の展開もおもしろい。
 せっかくの晴れの舞台、インタビューの当日に、パンダ顔…。ビジュアル系バンドとしてありえない、パンダ顔…。そこでメンバーは相談し、この顔は気合の入ったメイク。パンダに見えるのは気のせい。ということで、インタビュアーを騙し通そうと結託するのだ。
 笑わせ、和ませ、最後にはホロリとさせる。とてもいいお芝居でした。
 初日と同じく、この「DAVID」さんの客層は他とは違い、みんなビジュアル系…。
 受付に立っていても、ここはホント芝居小屋の伽藍博物堂かい?…と、疑いたくなるような、きらびやかな皆さま方が、どんどん入ってくる。妖精のように美しいビジュアル系の方は、シャンプーのCMに出てくる美女さながらの美しく長い黒髪の持ち主で(注・男性)、まさにビジュアル系バンドのライヴ会場のような観客席でした(笑)

 そして。
 「春なのに…2010」の最後を飾るのは、もちろん、主宰者T氏の「えむてぃ。」の芝居。
 今回は、水曜日のひとり芝居とは違って、共演のTさんと息子のカイ君を迎えての三人芝居。
 自然とT氏のテンションもあがります(笑)
 小道具の団子を買い忘れるというハプニングもありましたが、何とかどうにか間に合ったようで。
 しかし、この客層でえむてぃ。の芝居は…と、ちょっと思いましたが、ビジュアル系の方々は、しっとりしたお芝居もお好きなご様子。
 優しい雰囲気の中、「春なのに…2010」は、閉幕したのでありました…。


 全日程の受付をして、まだ初日、まだ2日目、まだ3日…と思っていたのに、あっという間に過ぎ去ってしまった一週間。夢まぼろしの春の宵…。
 静岡の桜の木にほとんど花びらはなく、枝はすでにもう葉桜。
 今年の春も過ぎてゆきます。

 「また来年」

 約束するのは容易いこと。
 確かに、あと300日も待てば、また次の春が来る。
 だけど、今年の春は今年だけ。
 一日一日をいとおしく過ごし、出逢いを楽しみ、別れを悲しみ、人生の時間を積み重ねて毎日を過ごしながら、変わりゆく季節の中で、また桜の季節が巡ってくる。
 「春なのに…2011」が、開幕するのか否か。参加出来るのか否か。
 それは、来年咲く桜だけが知っている。
 今の私に出来ることは、桜の木が来年咲く桜のため、養分をその身体の内部に蓄えるように…、今年のお芝居「花の名前」に寄せられた感想やアドバイスを糧にして、もっともっと書く力を高めていくこと。
 もっと伝えたいという想い。
 もっと解りやすく伝えられる技術。
 そうして。
 いつかまた、皆さまに作品をお目にかけられることを願って。

 今年の「春なのに…2010」を観に、伽藍博物堂へ来てくださった方々。
 何度も「春なのに…2010」を観に、足を運んでくださったリピーターの方々。
 このブログを読んで「春なのに…2010」がどんなものであるか知ってくださった方々。
 
 「今」という瞬間、優しい春を満喫していただけたでしょうか?

 「春なのに…2010」に出演されたすべての劇団の役者の方々。
 前説、音響、照明などの裏方を手伝ってくださった方々。
 舞台から見えないところで、いろいろと励まし、支え、助けてくださった方々…。
 
 すべての皆さまに「ありがとう!!」という言葉と共に、今年の春が、あなたの人生において、優しい時間であることを祈っております。
 
 






「春なのに…2010」、3日目レポート。 [演劇の話]

 どうも、いらっしゃいまし。

 4月14日、水曜日。
 あまる氏。無事、韓国より「キムチ4キロ」を抱えて戻り、伽藍博物堂で、みかん遊演団の仲間たちは、一週間ぶりの再会を果たしたのでした。
 あまる氏おみやげのキムチで、にわかに伽藍博物堂がニンニク臭に満ち、これではお客さまをお迎え出来なくなる!!と、しばしキムチさんにはご退場いただき、無事、初日を終えました。(ちなみに、やはりキムチは手荷物で飛行機の中には持ち込めないそうです…)

 終演後、おみやげのキムチは観客に振舞われたのち、「胃腸の弱い人は3切れでダウン」という、本場のキムチと韓国のりを囲んでのお疲れさまビール
 観客の皆さまに感想を書いていただいたアンケートを読みながら、しばし、本日の反省などを…。

 さて。
 3日目のレポートなのですが。
 本日の公演は、我ら「みかん遊演団」と、T氏のひとり芝居「えむてぃ。」
 えむてぃ。さんのことは前回に書いてるし、自分たちの芝居のことをうだうだ書くのもなんなので、アンケートの感想などをご紹介することにします。

 本日来てくださったお客さまの中には、ワタクシ猫たぬきが半ば強引にお誘いした方も何人かいて…(笑)
 たまたま静岡市内のあるカフェお茶を飲んでいたお客さまとか。
 以前、フリーキーショウで公演した「雨」を観にいらしてくださったお客さまとか。
 超多忙な新進建築家のF氏とか…。
 いつも稽古場に使用させていただいてる施設の事務員さんも観に来てくださいました。

 大道芸繋がりの人とか、クラウン繋がりの人とか、芝居繋がりの人とか…。そういう人たちじゃない目からは、今回の芝居はどう映るのだろう? と、興味津々であり、また、怖くもあり、いろんな期待と不安が混在したまま、公演が始まりました。

 いつもなら、観客の皆さんと同じように客席で観るので、観客の方々の表情とか呼吸とか、そういうものを間近に感じられるのですが、如何せん、今回は照明も仰せつかっているので、照明ブースからの観劇。
 観客の皆さまも、仕事終わりで駆けつけてくださってお疲れなのか、あまり笑わないご様子で芝居が進む。
 これが、真剣に観てくださってるからなのか? はたまた、つまらないと思われているのか…? 残念ながら、照明ブースからでは、観客の方々の表情は読み取れない…。

 一本目の、我々みかん遊演団の芝居が終わり、二本目は、T氏のひとり芝居、えむてぃ。
 日曜日のえむてぃ。とは違い、今回はT氏と声だけのひとり芝居。
 T氏は、相手役者や観客と絡んで芝居を作りたい人なだけに、何だかちょっと寂しげな様子。
 でも、何度観ても、あのセリフにはジン…とくる。

 公演終了して、アンケートを回収してみれば…。
 何と、皆さま。とても真剣に観てくださっていて、アンケート用紙には、感想がたくさん書かれていました。手元にアンケート用紙がないので、みかん遊演団の分を、覚えているだけ抜粋してお届けしますと……。

「生と死のテーマなので重いけれど、奥が深くて良かった」
「表情とか、間の取りかたとか、勉強になることが多かった」
「幕切れの表情が良かった」
「泣くぞ。あとからジワジワきた」

 良いことばかり挙げてるなよ、猫たぬき!! と言われそうなので、もちろん反省点も。

「(脚本の)展開がややこしい(勘違いするような)ところがあった」
「(役者の)動きがもうひとつなところがあった」

 …といったところでしょうか。
 うろ覚えなので、語尾など若干違っているかもしれませんが。
 「奥が深い」「泣ける」「ジワジワくる」といった感想は、脚本を書いてる上では何よりも嬉しい!!
 私が書きたいものは、「観客が感情移入出来る、ありふれた日常の中にある温かいお話」。
 書きたいことが伝わったんだなぁ…という感動が、一日経った今も胸の中に熱く残ってます。
 もちろん、もちろん。「展開がややこしい」という反省は、次に生かしますよ。
 人生は「トライ&エラー」です!!
 (↑新進建築家のF氏から教わった言葉。言葉の意味は後日のコラムでご紹介しましょう♪)

 さてさて。
 脚本の反省、役者の反省、もちろんいろいろありますが、やはり最大の賛辞は、このひと言に尽きるでしょう!!

「去年より全然良くなってました」

 去年、あまる氏は言いました。
 「みかん遊演団は、まだまだこれからです。来年は、またこの場でお目にかかれるか、はたまた無くなっているか…どっちかです。我々の来年に期待してください!!」
 去年より出演人数は半分になってるけれど、去年観てくださった方が、今年も観てくださった。
 そして、「良くなってる」と評価してくださいました。

 とりあえず、リベンジ成功!! …と言っても、過言ではないと思うのですが、いかがでしょう?

 もちろん、まだ明日(いや、もう今日)の公演があります。
 現役芝居人の方、元芝居人の方、大道芸人の方、アート評論する方もいらっしゃる予定です。
 水曜に来られて、また金曜も観に来ると言ってくださった方もいます。(…なので、少し初日とはアドリブシーンでのセリフや動きを変える予定)
 彼らには、私たちの作る芝居はどう映るのでしょう?
 そして、どんな感想がいただけるのでしょうか?

 決戦は金曜日。(…ドリカムの歌かい?)
 あと、20時間ほどで、「春なのに…2010」、みかん遊演団千秋楽の幕があがります。
 泣いても笑っても、あと1回きりの公演。
 稽古は、本番のためにするもの。
 本番を、過去最高の演技にするために…。

 お仕事帰りのお客さま。名残の桜を感じられる「春なのに…2010」を観にいらっしゃいませんか?
 本場の韓国キムチ4キロが、あなたの胃袋をお待ちしております(笑)
 
 
 



「春なのに…2010」、2日目レポート。 [演劇の話]

 どうも、いらっしゃいまし。

 さてさて。
 「春なのに…2010」も、始まって2日目を終え、半分の3公演が終了しました。
 始まったと思ったら、もうすでに折り返し地点…。
 「春なのに…2010」のキャッチコピーは、「さくら色の夢時計
 まさしくその通り、1年は365日あるのに、「春なのに」の公演はたった一週間。公演日は5日間、6公演しかないというのは、桜を眺める時間よりも短くて、蝉の命よりも儚い、何とも夢まぼろし的な時間であることかと思わされます。
 そのたった6公演の時間、伽藍博物堂に訪れてくださった方々と共有する時間が、心地良く頬を撫でて通り過ぎる春風のように、穏やかで優しい時間であることを、切に願っております。

 2日目は、14時の回と、18時の回の2公演。
 受付担当も、フル回転。(っつっても、受付と会計とビールの買出ししかしてないんだけどね…)
 4つの劇団をご紹介しましょう。


☆ 気のままランド 「面会」

 浜松より参戦のユニット
 「気のままランド」は、浜松の劇団、M-planet のメンバーで構成されています。
 去年の「春なのに…2009」にも参戦。とても不思議な空間を表現するふたり芝居(ただし役者のひとりは多数の役をこなす)、「動かざる人」を観ましたが、すごく良かったなぁ…と1年経った今でもよく覚えています。
 去年と同じ、場面は変わらずひとりは出ずっぱり。もうひとりが何役もこなすという、不思議ふたり芝居。
 三人の命を奪った凶悪犯として捕まった後藤という気弱な男。実は、「ゴトー」違いで捕まってしまったという冤罪の可能性が。その冤罪を晴らそうと、さまざまな人が面会に訪れる…というお話。
 去年とはまったくお話が違いますが、主演のあべさだおさん、今年もいい味出してます。不思議ちゃんキャラと言えば、ゆうこりんなどが挙げられますが、私は彼、あべさだおさんを「不思議ちゃんキャラ」に認定したい!!(もちろん、独断です)
 公演後に、皆さんと少しお話しする機会があったのですが、彼の独特なキャラは舞台を降りても変わりません。
 私は自他とも認める爆弾人間で、地雷畑を突進し、手榴弾でお手玉をしながら、まったく場の空気を読まずに会話の中に突然爆弾を放り込みますが、それでも彼のキャラは崩れず(笑)

 「春なのに」では日曜日1回限りの公演だったのですが、M-planet 企画では、他の場所でも公演する予定ですので、ネタばらしはしないでおきます。後藤の心の友、「くまお」がこれまたいい味だしてるなぁ…というイジワルなほのめかしだけしておきましょう(笑)
 気になります? 観たくなっちゃいます?
 見逃しちゃったよ~!! と言う方に朗報です。伽藍博物堂ではありませんが、他の会場で彼らのお芝居が観られます。
 日程の詳細はこちらhttp://mplanet.web.fc2.com/をどうぞ。



☆ えむてぃ。 「手をのばせば」

 「春なのに」の主宰者。伽藍博物堂の看板役者T氏の芝居。
 去年は「どどんぱ」という名で、ふたり芝居だったのですが、今回は、Tさんを客演を招いて「えむてぃ」という名で、新ユニットのふたり芝居。客演のさらに客演に、Tさんの息子さん、カイ君が出演しちゃいます。8歳の男の子。この子がもう、かわいくてかわいくて……。頭からかじりつきたいくらいかわいいです。(…虐待?)
 今回のお芝居、T氏が何と、弘道お兄さんに対抗して「体操のおじさん」になっちゃいます(笑)
 もちろん、「どどんぱ」同様、歌入りのミュージカル?仕立ての演劇。
 彼の芝居、脚本は、キャッチコピーそのまま、夢のような優しい時間を提供してくれます。
 時は人生の中で等しく流れていくものではあるけれど、良い時も、そうでない時もある。それでも季節は変わらず巡ってきて、故郷からの春の便りは、懐かしさを運んでくる…。
 劇中に、ズキンとくる素晴らしいセリフがあるのだけど、それをここで明かしてしまったらネタバレになるので、言わずにおきます。
 優しい気持ちになりたい方、春という季節を心で体感なさりたい方、人生に迷っている方(笑)

 T氏曰く、「答えは、観る人の心の中にあり」

 観に来てくださったすべての皆さまの心に、春を感じさせる素晴らしいお芝居です。

 えむてぃ。の次の芝居日程は、14日(水)、我らがみかん遊演団と同じ日です!!(但し、この回は客演のTさんは声だけの出演になり、T氏のひとり芝居となります)



☆ 三十路unぐる 「ゴトーを待ちながら」

 はい、ここで。
 ベケットの不条理劇、「ゴドーを待ちながら」と読み違えた人、訂正してください。
 「ゴドー」ではなく、「ゴトー」です。
 …そう。勘の良い方はすでにお気づきかと思いますが、実はこれ、気のままランドさんの「面会」の続編のようなお芝居なのです。
 「面会」の中で出てくる気弱な後藤ではなく、本物の犯人「ゴトー」に殺された三人。
 その「ゴトー」が逮捕され、死刑になる日を待ちながら、死んでも死にきれずに彷徨っている…。
 彼らの人生は確かにあった。
 ひとりひとり、家族があり、家庭があり、恋人があり、人生の目的があり、彼を、彼女を、待っている人があった。
 それを一瞬にして「ゴトー」は、すべての未来を奪ってしまった…。

 「面会」を観てないと、ちょっと解りづらい展開もありましたが、殺されてしまった人間の無念さを、不思議な空間で、コミカルさを交えながら表現していくお芝居です。
 何よりも、彼らの声に惚れてしまった。
 ひとり何役もこなす展開があるのですが、一瞬にして女性が男口調になり、その違和感がない。
 役者だなぁ…。
 
 公演終了後の軽い打ち上げでそのことを言うと、共演女性S嬢が、共演男性N氏に、「声だけは、ハンサムだよね」と言ってたのが笑えました。いや。声だけじゃなく、彼はハンサムだと思いますがねぇ、私は。(…っていうか、「ハンサム」という言葉が昭和的? 「イケメン」って言うべきなのでしょうか?)

 彼ら「三十路unぐる」も、M-planet から派生したユニット。
 このお芝居も日曜公演一回きりなのですが、他の場所で公演予定がありますので、
 詳しくはこちらhttp://mplanet.web.fc2.com/をどうぞ。



☆ Ricky’s Stone 「A型の男」「秘密基地」「ナイトスクール」

 すいません…。
 前回のレポートに、次のRicky’s Stoneのお芝居は16日です…と書きましたが、2日目にもありました。
 本日はRickyさんの奥様も観に来られていたので、彼も張り切っていたことでしょう。
 2日連続でも(今回はモニターで観てました)、やっぱりおもしろい。
 昨日は「秘密基地」が好き、と書きましたが、「ナイトスクール」もおもしろい!!
 何だかいい話にまとまる風に感じさせておきながら、何だよ!!っというオチ。話の最初の方に語られていた、まったく関係のない前フリが最後に利いてるところが、Ricky’sワールドだなぁと思いました。
 観に来てくれた、みかん遊演団のカメラマンTちゃんは、「A型の男がおもしろい」と言っていたので、笑いのツボっていうのは人それぞれですね。

 次回のRicky’s Stoneの公演は、16日(金)です!! 今度は間違いありません(笑)
 みかん遊演団の公演と同日ですのでお得です!!(…何が?)
 皆さまお越しくださいまし~♪


 縁とは不思議なもの…。
 たった一度しか逢ったことのない、それでいて懐かしい方々に、伽藍博物堂で逢いました。
 私の数少ない特技のひとつは、「一度逢った顔は忘れない」ということ。
 いつもどこかで、「前にお見かけしたことがありませんか?」と、古い映画に出てくるプレイボーイが美女の耳元で囁くような、口説きセリフを口にする。
 お互いの記憶を辿っていくと、確かにどこかで逢ったことがある。
 それが合致した時の嬉しさ。
 どこかで誰かが繋がっていて、違うどこかで意外な再会をする…。
 芝居というものが、その不思議な縁の橋渡し。
 私には、そう思えてならない。
 だから私は。
 芝居が、芝居小屋が好きなのかもしれない。


 さて!!
 次回の「春なのに…2010」の日程は、14日の水曜日、夜20時から!!
 とうとう、「みかん遊演団」の初日です!!
 あまる氏が、大道芸の仕事で韓国から帰国するのが、舞台初日の14日!!(果たして、飛行機は時間通りに飛ぶのだろうか?!)
 少ない稽古時間の中、いろんな思いをして作り上げた私たちの舞台。
 私が脚本を書いた芝居を観た感想に、いつも辛口評価のT氏が、今回のゲネには合格点をくれました。
 「やっと舞台芝居らしくなってきた」

 それを皆さまにお届けできる幸せ。
 出来ることなら、より多くの方々に観ていただければ…。
 この記事を読んでくれている皆さまが、伽藍博物堂へ足を運んでくださることを期待しながら……、明日、稽古の総仕上げをしてきます。




「春なのに…2010」、初日レポート。 [演劇の話]

 どうも、いらっしゃいまし。

 今回、「春なのに…2010」の受付を仰せつかっております、猫たぬきです。

 初日から、お客さまの入りは上々♪
 「春なのに…2010」、幸先の良いスタートとなりました。

 今回の記事、前回の記事の追記に書こうかと思いましたが、このブログ、なぜか携帯から見てくれてるお客さまが全体の2割ほどいらっしゃいまして、あんまり長くなると読みにくいだろうなーと思って(いまさら?!)、「春なのにレポート」とタイトル付けて毎回、猫たぬきの独断と偏見でご報告していきます。

 「春なのに…2010」初日、4月10日(土)、ふた組のユニットが参加いたしました。

☆ DAVID

 藤枝から参戦のこのユニット。
 彼らのキャッチコピーをチラシからそのまま引用すると、
 『謎の演劇ユニット「DAVID」。白と黒・・・決して相容れない二つが共存する時、奇跡が起きる・・・? なんちゃって(笑)』
 …となっております。
 なんちゃって(笑)と記すところからも察せられるように、笑えます。
 このユニットのお芝居を観るのは初めてなのだけど、ホント、難しく考えることなく笑えます。ツボにきます。
 彼らの爆笑的ライヴパフォーマンス…おっと、ネタバレ?! …このユニットは、あまりタネあかしをするよりも、ビジュアル的な笑いも多分に含んでいるので、来て、観て、笑っていただきたい。ホント、何かおもしろいことを探している方、単純に笑いたい方、オススメです!!

 「DAVID」の次の芝居日程は、来週、4月17日(土)の14時から!!
 昨日観てない方、週末のご予定にぜひ「DAVID」のお芝居を!!


☆ Ricky’s Stone

 言わずと知れた、静岡でのひとり芝居のプリンス。
 静岡のお芝居好きな方は、cafepianoで公演を観たことがあるのではないでしょうか。
 彼のひとり芝居は、笑わせ、泣かせ、最後はきちんとオトす…。関西生まれの関西育ち、落語も大好きな私には、彼のひとり芝居は、良質の落語にも通じているような気がします。
 実は彼のひとり芝居、私は「観て」ないんですよ。
 受付に座っていたので、声だけを「聴いて」いたのです。そう、ラジオドラマのように。
 彼の声を聴いていると、そのままその情景が浮かんでくる。居るはずのない相手役の姿までが想像出来る。彼はとても素晴らしい役者さんです。
 芝居は、短いお話が三本立て。「A型の男」、「秘密基地」「ナイトスクール」。
 私は「秘密基地」が好きだったなぁ。
 さて、皆さまは、どのお芝居がお好みでしょうか? 自分の目で耳で、Ricky’s ワールドを体感してみませんか?

 Ricky’s Stoneの次の公演日程は、何と我らがみかん遊演団と同じ4月16日(金)20時からです!!
 16日は、仕事が終わったら、伽藍博物堂へGO!! ですよ^^;

 
 「春なのに…2010」の詳しい参加ユニットや日程などは、
こちらhttp://www12.plala.or.jp/m-taki/haru2010.htmlから。
 さてさて。
 今日も楽しくニッコリにこやか、素敵な前説嬢Yちゃんと共に、受付嬢を満喫して参ります。
 本日は、14時からと18時からの2公演です。



 



「今」という、この時間を大切に。お芝居を観に出掛けよう!! [演劇の話]

 花に感情があると思いますか?

 どうも、いらっしゃいまし。
 春の香るお茶などいかがでしょうか?

 春の花。
 ……と言えば、桜ですか? 梅ですか? 桃ですか? それとも藤かしら? 菜の花やタンポポ、レンゲを思い浮かべる方もいるかもしれません。

 「お花が、笑ったり泣いたりするの?」
 「そりゃそうさ。花だって、生きているんだから」

 …と、まぁこれは舞台セリフの抜粋ですが、当然花にも感情があるはず。
 動物の声をすべて「鳴き声(なきごえ)」と表現しますが、何故に「笑い声」ではいけないんでしょうね。動物にだって喜怒哀楽や感情があるはずなのに。

 桜の散り際の潔さ。
 風に煽られ散りゆく姿が日本人の「粋」好みに合うのか、ソメイヨシノ満開のこの季節、淡い桜色の絨毯が歩道のあちこちで見られます。

 「また来年逢いましょう」

 桜の木が、ヒラヒラと散りゆく花びらが、そう囁いているように聞こえるのは、空耳でしょうか?

 「また来年」

 来年の約束をするのは容易いことです。
 しかし、来年必ず桜を眺めることが出来るという保証はない。
 今年の桜は、今年しか見られない。
 「今しかない」からこそ、より美しく我々の目に映るのではないでしょうか。


 さてさて…。
 お久しぶりの猫たぬきです。
 前回更新が1月24日…。
 暦には2月も3月もあるはずなのに、今はもう4月…。まぁ、よく世間では言うじゃないですか。2月は「逃げる」、3月は「去る」って…。(イイワケ?)
 でもまぁ、猫たぬき、単に冬眠していたわけではありません!!
 去年4月、大道芸人あまる氏率いる「みかん遊演団」で「春なのに…2009」に飛び入り参加してから早1年。今年「春なのに…2010」では正式参加。その舞台脚本を書いていたのであります。
 話を思いついたり空想したりするだけなら楽しいけれど、それを脚本に仕立てるのは並大抵ではない苦しい作業…。おまけに出来上がった第一稿に賛否両論。直せども直せども、何か違う気がして、稽古が始まってからも脚本をいじり倒す始末…。すでにセリフを覚えている役者に迷惑かけながら、結局何稿書き直したかわからないくらいのテキストレジを経て、どうにかこうにか、公演のカウントダウンを迎えております。

 …てなわけで、今回は告知です!!

 「春なのに…2010」 ~さくら色の夢時計~

 みかん遊演団による演劇  「花の名前」

 出演 Hickee あまる ミムラ
 音響 そよ風

 父親を事故で亡くしたのに、何故か涙を見せない気丈な少女。
 妻を亡くし、その現実を受け入れたくないあまりに、自ら心を閉ざし、人生の時間を止めてしまった出来損ないのクラウン。
 そんなふたりが出逢い、不思議な時間を共有する。
 嘘をつくことはいけないことだと知っているけれど、世の中には思いやりからつく優しい嘘が溢れている。
 人は決して、ひとりで生きているわけじゃない。
 誰かに何かを教えたり、与えたりしているつもりでも、逆に教えられたり与えられたり、大切な何かに気付かされたりすることがある。
 自分ひとりの悲しみに閉じこもっているときには見えなかったものが、周囲を見渡したとき、どれほどの優しさが自分に注がれているかを知る。
 本当の意味での強さや優しさに気付いたとき、お互いそれぞれの時間が、新たに動き始める…。



 今回も、あまる氏率いる「みかん遊演団」の方と組んで演じさせてもらっているので、大道芸テイスト、クラウンテイストを加えたお芝居になっています。クラウンの方、ジャグラーの方、演劇はあんまり観ないなーという方々にも観ていただきたいですね。
 

 日時    2010年4月14日(水)・16日(金) PM20:00~
 場所    静岡市鷹匠 伽藍博物堂演劇実験室
 チケット  前売り券800円  当日券1000円 
(リピーター割引…1度観劇したチケットをお持ちいただくと、2回目以降は500円になります)


 脚本・演出・照明、ついでに受付も、猫たぬきが担当します^^;
 裏方大好きなんですねぇ(笑)
 
 
 「みかん遊演団」が出演するのは、上記の14日と16日だけですが、「春なのに」の公演は、4月10日(土)~17日(土)までありますので、詳しい日程や出演劇団については、
こちら(http://www12.plala.or.jp/m-taki/haru2010.html)をどうぞ。伽藍博物堂演劇実験室の地図も載っています。


 春は始動の季節。出逢いの季節。
 しかし、別れの季節でもあります。
 いろいろお世話になった伽藍博物堂演劇実験室は、今年の夏を持って閉館されます。
 桜の木が私に囁いたように、「また来年逢いましょう」とは、もう言えないのです。

 私が静岡で演劇を初めて観たのも、この伽藍博物堂での「座長の一人芝居」でした。
 「気軽に演劇を楽しめる」というコンセプトのもと、いろんな演劇を楽しませていただきました。私の観劇はここから始まったのです。
 伽藍博物堂は、いつも変わらず、すぐ側にあるもの…と思っていただけに寂しいですが、それに引きずられてばかりではいけません。思い出は、いつまでも褪せることなく残るのですから。
 だから、「さようなら」ではなく、「ありがとう」と言いたい。
 いろんな芝居をみせてくれてありがとう。芝居を演じる場として存在してくれてありがとう。芝居のおもしろさを教えてくれてありがとう…。
 伽藍博物堂の匂い、空気、その佇まいすべてを、記憶して大切にしまっておきます。

 このブログを読んでくださる皆さま方。
 伽藍博物堂演劇実験室を知ってる人、知らない人、訪れたことのある人、ない人。
 すべての方へ。
 演劇は、決して「脚本」と「役者」だけで作られるものではありません。ひとつの作品を作り上げるために、実にたくさんの人の助けを要します。いろんな人の手を借りて、励まされて、支えられて、紙の上で作られた二次元の人物を、三次元の世界に作り上げていきます。その中で、葛藤や悩み、思いのすれ違い、いろんな思いをします。そんな中、演劇に関わるすべての人間の想いが、舞台を作り上げ、演劇として表現されるのです。
 訴えるのじゃなく、伝えたいという何か。演劇というものを通して「何か」を感じてもらえたら…、それがパフォーマー&脚本を書く者、演劇に携わるものすべての願いです。
 その「何か」は、観る人によって違うもの。感性が違えば、伝わり方も感じ方も違うはず。観る人それぞれが感じる「何か」…。
 願わくば、その「何か」が、観る方々の探していたもの、心地良いものであることを願って……。


 さぁ!! 今日からの一週間!!
 演劇好きな人。
 伽藍博物堂が好きな人。
 「春なのに」ファンの人。
 「何か」を探したい人。
 猫たぬきが、↑の扉絵の動物に激似かどうか確かめたい人(笑)
 どんな理由でも結構!!
 伽藍博物堂へ出掛けましょう。
 冬の重いコートを脱ぎ捨てて、桜色のワンピースに着替えて、散りゆく夜桜を眺めながら、鷹匠の伽藍博物堂へ「何か」を探しにいらっしゃいませんか?





「感情」と言う名の、どうにもならないもの。 [演劇の話]

 なぜか「ワルツ」を勉強しなくてはならなくなりました……。

 どうも、いらっしゃいまし。
 甘い紅茶を一杯、いかがですか?

 先週のことになりますが。
 このブログで告知していた演劇、11月25日、静岡のフリーキーショウで、ふたり芝居「雨」を上演いたしました。
 何が嬉しいって、やっぱり自分の書いたものが「芝居というカタチ」になるということ、それを「お客さんに観てもらえる」ということ、これに尽きますな。
 もひとつ嬉しかったことは、予想以上にお客さんが観に来てくれたこと。
 小さな演劇公演というのは身内(家族とか友人とか)が多いもので、事前に携帯に「今日観に行くね」とメールをくれた友達数人と、K氏と私の所属する「みかん遊演団」のみんなと、Mちゃんの所属する某劇団の人たちが観に来てくれるくらいかなと思ってた。
 「11月25日に演劇やるんです」と、軽く知り合いや友達に話してはいた。ただ今回はチケット制の芝居ではなく、お代は観てのお帰りの投げ銭方式なので、積極的に人を呼び込もうとは思ってなかった。
 それが。
 声を掛けた人のほとんどが観に来てくれた。
 中には、9月に一度話しただけの人もいる。
 まぁ、時間をキッチリ伝えてなかったから、芝居が終わったあとに来られたのだけど。芝居が終わったことを伝えると、「じゃ、もう一度やりましょうよ」って。……いや、そりゃ無理ですってば(笑) でも、2ヶ月も前の話を、キチンと覚えていてくれたんだと思うと、ありがたいなぁ。
 忙しい中、仕事を終えて急いで駆けつけてくれた人、仕事を途中で抜けて観に来てくれた人、明日から出張なのに時間を作って観に来てくれた人、フリーキーの場所を知らないのに店を探しながら来てくれた人。
 観に来てくださった皆さま、本当にありがとうございます。
 「ありがとう」ってとても素敵な言葉で大好きなんだけど、このヒトコトでは感謝は言い尽くせないくらい、嬉しい。もっと他に心に響くセリフはないものかしら?
 

 さて。
 焼きいもは熱いうちに食え、感動はアツイうちに書け、と言うことで。(K氏の「即興朗読」を聞いてると、さらに笑える小ネタです)
 今回の演劇。
 K氏とMちゃん、ふたりの役者によって支えられた芝居です。(名前バレてるのに、シツコク伏字)
 観客の中には、もちろん役者や演劇に詳しい人も居て。そういう人には、一発で見抜かれてしまいます。「演出がなってない」、ということを。
 前回の告知にも、「私の演出は全然なってない」ということをみずから告白してますが、私には「作・演出」の両方をやるには、まだまだ力不足だと思い知らされる。
 作品に感情移入し過ぎる性格も良くない。まず、「客観視」を学ばないと。あと、絶対的に足りないのが「自信」なのか?

 私が今回した「演出(もどき)」は、ふたりの登場人物の「気持ちの流れ重視」。
 TっちやMちゃんが言う、「どう見せたいの?」「何を見せたいの?」というものはなくて、登場人物の気持ちが一番大事というスタンス。台本に書いたセリフと、生い立ちの履歴書で、役者に「アナタの考える登場人物」の感情を探って欲しい、と思ってた。私が考える登場人物と、あまりにかけ離れていたら口出しするけど、基本、私は「役者の考える登場人物」を優先したい。変えていびつになるより、気持ちを流したい。
 う~ん、でもそれが、「演出してない」「役者に丸投げ」ということになるのだと知ったけれど。
 演出って、例えて言うなら指揮者みたいなものなのかな?
 役者にどうこう言うのではなく、ふたりの息をピタっと合わせる。
 今回の芝居は、技量の高い役者ふたりに演じてもらったから成立したと言えるかもしれない。

 確かに。
 オーケストラの音楽も、指揮者次第で全然違うように聴こえるし、シェイクスピアも、演出次第で全然違うテイストになる。
 それが演出の個性というやつか?
 じゃ、私の芝居は限りなく無個性なのかなぁ。
 「舞台は演出ありき」と、言う人もいるだろうけれど。
 もちろん、そういう演劇がおもしろいことも知ってるけれど。
 単に「気持ちを流す」というのは、演出とは言えないのだろうか?

 舞台では、脚本で生み出されたひとりの人間の人生の時間を、少し切り取って演じる。
 その人には生い立ちや過去、きちんとしたバックボーンがあって。演劇のこの時間だけは、その「登場人物」が「自分」になる。
 脚本上で二次元の人間が、役者によって三次元になり、肉をまとい血が通う。それに感情を流すと、「生きた」人間になる。狂った人間であっても、歪んだ理不尽な考えをした人間であっても。
 ふたりの役者が、それぞれの「生きた人間」を演じる。
 その「感情」を表現したかった。
 ひとりの人間としての考え、生き様。「どこをどう見せる」とかではなくて。観客がストーリーのどこで、どのセリフで、どの感情で、どう感じてくれても構わない。

 行動には、理由がある。
 感情があって、人は動く。
 ……たとえそれが、正しい行動ではなかったとしても。

 それが、今回の物語「雨」の主人公、「恭介」の感情である。


 「感情」と言えば。
 舞台の話とは全然関係ないけれど。
 私は、公演当日、押し込めてきた「ある過去の感情」のフタを開けてしまった。

 行動を「する」にも感情があるが、行動を「しない」ことにも感情がある。

 私は、人前に出ることが苦手で。いや、苦手というより、はっきり言って「嫌」なのだ。
 何故か?
 感情にも理由がある。
 「嫌」な理由は、遥か遠い遠い昔、私が高校生の頃に遡る。
 その頃の負の感情は、あまりにも痛すぎて、心の片隅の箱の中に押し込めて閉じ込めて、上から厳重にフタをしてしまっておいた。そうしないと立っていられなかった、と言っても過言ではないかもしれない。
 「そんな負の感情なんて忘れてしまえばいいのに」と言う人もいるけれど、初めて転んでケガをしたときの痛さを覚えているから、転ばないようにケガしないように気をつけるように、少なくとも私は、簡単に痛い思いを忘れることは出来なかった。だからせめて、普段は思い出さないように閉じ込めておいたのだ。
 そのフタを開けてしまった。

 あれは、23日の稽古が終わってから、3人で雑談をしていたときのこと。
 当日フリーキーでの準備のあれこれ。人前に出る出ない、挨拶するしないの話をしていたとき。
 私がどうしてこんなに人前に出ることを頑なに拒否するのか? K氏やMちゃんはその理由がわからないし、知らない。
 私は。自分自身の中にあるその根源を知っているけれど。
 思い出したくないし、話したくない。閉じ込めたものを掘り起こしても、そこから出てくるものは負の感情でしかない。それなのに思わず感情が高ぶって、みずからそのフタを開けてしまった。
 次の日、24日は稽古がなくて。でも、そのことがずっと頭から離れなかった。不用意に開けてしまったフタが徐々に開き始め、中から負の感情が出てくるのがわかる。
 一番誰かを求めているくせに、誰とも話したくない。音も音楽も何も欲しくない。音のない部屋の中にじっとうずくまって、ただ時間が過ぎるのを待つ。理由はたくさんある。決してひとつだけじゃない。思い出したくない記憶というのは誰にでもひとつやふたつ存在するだろう。普段は忘れているつもりでも、心の奥底に眠らせた記憶がある。
 25日。本番前の最終稽古。
 完全に開けてしまった箱の中から、生のままの感情があふれ出した。
 想像力(妄想力)があり過ぎるのは、こういうときに困る。
 あの日、あの瞬間の、情景が、感情が、まるで今、目の前で起こっているかのように鮮明に思い出されて、膝が震えて、動悸が早くなる。涙腺が緩んで、今にも涙があふれそうになる。
 人に話せば、「何をそんなちっぽけなことで」と思われるかもしれない。そんなマイナスの感情をずっとずっと引きずっている方がバカバカしいと思われるかもしれない。だけど、人が何によって傷つくのか、それは人によって違うものだ。

 ホントは。
 話している途中に止められるかと思ってた。
 例えばK氏に「そんな話は聞いてない」とでも言われるかと。(確かに、本番前にそんな暗い話をされても……と思うだろうしね)少なくともMちゃんは内心止めようと思っていたらしいし。(芝居前に、当然と言えば当然のことだけど)
 でも、ふたりとも最後までキチンと聞いてくれた。
 どうして私が人前に出ることを頑なに拒否し、怖がるのか、その理由を。
 
 私は今でも自分のことを「人が好きな人見知り」と称するけど、その昔、人が怖かった。
 一対一で人の目を見て応対するのであればそれほど怖くないけれど、たったひとり、人前に晒されると、人の視線が鋭い刃物のように、自分の肌を刺すように感じられた。膝が震えて、動悸が早くなり、その大勢の中の誰とも視線を合わせられない。声も出せない。作り笑いさえ、強張ってしまう。だから人前に出られない。

 もちろん、その感情だけを引きずって今に至ってるわけじゃない。
 今は、人を好きだと思えるし、日々出逢える人に嬉しさと温かさを感じてる。
 例え、緊張して手に汗をびっしょりかいていたとしても、笑える自分がいる。ハッタリかもしれないけど、演技じゃない。その人と話したい、話すことが嬉しい。人と出逢えることの喜びの方が、怖さよりも勝っているから笑える。人を好きだと心から言える。
 だが、怖くないと言えばウソになる。
 私の中には、常に、好きと嫌い。喜びと恐怖。相反する感情が同居してる。
 怖いけど、嬉しい。怖いけど、楽しい。怖いけど、人と関わっていきたいんだ。
 それなら。
 K氏やMちゃんの言う通り、「いらない記憶は捨てて(忘れて)しまえばいい」かもしれない。
 しかし、感情ってやつは、自分の思い通りにならないから厄介なものなので。
 「怖い」と思った瞬間、その感情は決定される。
 お化けが怖いと思ったら、大人になったって怖いはず。
 大きなケガをしたら、完治したとしても、うっすらと傷痕が残ってしまうように。
 雨の日や気温の変化で古い傷が疼くように。
 忘れよう、忘れてしまった、と言い聞かせていても、どこかでそれを記憶してる。何かの拍子にそれが顔を覗かせる……。おそらく、それは理屈じゃないんだ。
 もちろん、K氏もMちゃんも、私を困らせたくてイジワルしたくて言ってるわけじゃない。
 人が人に苦言を呈するときは、その人のことを思ってのことだ、と知ってる。
 誰しも、どうでもいい人のために、ムダな労力を使わない。話す、ということも立派な労力だ。
 私はK氏やMちゃん、その他いろんな人に支えられて生きている。

 フリーキーで、芝居が終わったあと。もう一度舞台が明るくなって、役者や脚本・演出の紹介をする場がある。
 私は去年、怖くて思わず逃げてしまったけど、今年は。
 壇上にあがることはしなかったが、人の視線を受け入れることが出来た。でもやっぱり少し怖くて、慌ててお辞儀をして下を向いてしまったのだけど。
 頭上に降り注ぐ視線も拍手も、決して刃物ではなく、優しい雨音のような響きを持っていた。
 怖いと感じたあの時間のまま、記憶はとまっているけれど、時間は流れているのだな、と。
 もうそろそろ呪縛(?)から解き放たれてもいいのかもしれない。
 完全に忘れてしまうことは出来なくても、濃度を薄めることは出来る。
 泣いて、涙で毒を外へ押し出す分だけでも、きっと違う。
 感情を言葉にして、声に出して、聞いてもらった分だけ、心が軽くなった。
 「感情」は、確かにどうにもならない厄介なものだけど、「怖さ」を上回る「温かさ」で、負の感情は溶けてなくなることもあるかもしれない。
 みんなの優しさが、呪縛を解き放つ魔法になる。

 前に、自分で書いた脚本の中のセリフ。
 「自信とは、自分を信じることだ」
 何とも当たり前の、ありふれた言葉。
 誰に対してのメッセージでもなく、おそらく自分自身に言い聞かせるがために書いたセリフ。
 まず自分が自分を信じてやらなければ、他の誰に信じてもらえるというのか?
 自分が自分を愛してやらなければ、他の誰から愛されるというのだろうか?
 少しずつ、少しずつ……。
 とりあえず、「でも」「だって」「どうせ」という言葉を使うのをやめるように、努力しよう。
 そうしたらいつか。
 人前で挨拶くらいは出来るようになれるだろうか?
 「だろうか?」じゃなく「なれる」。
 いや、「なる」んだ。
 そう自分にハッタリかまして、暗示をかけなきゃね^^;


 それではお茶にいたしましょう。
 11月25日が終わったら、ゆっくりお茶が出来ると思いきや、何だかんだと忙しく、お茶も競馬もゆっくり出来ない。
 ちなみに今年のジャパンカップは際どいレースでしたね。ウオッカか? オウケンブルースリか?! ハナ差でウオッカが勝ったけど、ゴール前、思わず力が入ったなぁ。
 それと、冒頭でも書いたけど、なぜかいきなり「ワルツ」を教えることになりまして……。
 しかし私がソシアルダンスを習ってたのって、もう10年以上も前の話で。しかも、「かじった」というよりも、「なめた」程度の、ホントに基礎の基礎の基礎でやめてしまったのに。
 「適当でいいんですよ」なんて言われても、やるからにはカタチにしたいコダワリもあって。
 ソシアルダンスの世界選手権のビデオを見ながら、お茶を飲んでいる。
 ワルツには二種類あって、「スロー・ワルツ」と「ウインナー・ワルツ」、ゆっくり踊るのが「スロー・ワルツ」で、アップテンポの舞踏会で踊るようなのが「ウインナー・ワルツ」。
 なので、本日は「ウインナティー」を。(単に「ウインナ」という言葉を使いたかっただけか?)
 ゆるめに泡立てたホイップクリームを、少し濃く淹れたアッサムティーの上にとろりと乗せる。
 甘くて濃厚なミルクティーのようで、疲れたときにピッタリです。
 それではまた次回、お逢いしましょう……♪



 



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