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2017年、始めました。 [日々思うこと]

2017年、新春!!
あけましておめでとうございます!!

「今さらかっ!!」
「お前何年、年明けてないねん!!」

という、ツッコミはスルーして。(スルーかい)

ついでに、タイトルがラーメン屋が夏に出す「冷やし中華始めました」をパクってることもスルー。
だいたい、2017年始めましたって、すでに始まってるやん、というツッコミもスルー。
この先、どなたも様も、優しいお気持ちで、お読みください。

さて。
いや~ホント、いつから更新してないでしょうね。
毎年、何とか正月と自分の誕生日にだけは、人生を振り返って何か書いてたのに。

何となく冬眠してたら、長い年月が経ってましたという感じです。(浦島猫たぬき)
久しぶりに更新してみたら、今までのnice!だけでなく、「いいね!」とか「ツイ―ト」とか、何だか見慣れないものが・・・。


というわけで、2017年。

始めました!!

「だから、何を?」

という、正しいツッコミをお待ちしておりました。

ワタクシこの度、アルバイトニュース「DOMO!」の、WEBマガジンのライターになりました。
その名も、「DOMOプラス」!!
知って楽しい情報が満載でございます。

『大道芸も楽しめる! 静岡の一風変わったBAR』
http://domonet.jp/plus/post?id=194 ←こちらからどうぞ♪

『やきいも屋さんがおでん?! 話題の「静岡おでん」のお店に行ってみた』
http://domonet.jp/plus/post?id=198 ←こちらからどうぞ♪

2017年始めましたと言っておりますが、実は2016年12月から「始めてました」なのですが、そこはスルーして。(スルーばっかりかい)

このブログのような、文字ばっかりズラーっと羅列した長い文章ではなく、写真も入って見やすくなっておりますので、ご安心くださいませ(^^)ノ

こちらの方も、お読みいただければ幸いにございます。
私にはよくわからないのですが、「LINE」とか、「ツイ―ト」とかもやっていただけるとありがたいです。
こちらのブログの方も、ボチボチ更新していければいいな、と思っておりますが・・・。

冬眠していたこの3年余りの間も、nice!や、コメントをくださっていた、COLEさん、だい吉さん、あすなろうさん、くますさん、ありがとうございます。
今年からも、また、よろしくお願いいたします!!(^^)ノ♪



いまを生きる (Carpe diem と memento mori ) [日々思うこと]

 こんにちは、お久しぶりの猫たぬきです。
 本日、6月10日は、猫たぬきのほにゃらら回目の誕生日と、ブログ開設7周年です。

 毎年、この日だけは、何が何でも更新することにしてますが、如何せん、梅雨時期は気圧の変化が激しいのか、最近はひと月に1、2回だった偏頭痛が、頻繁に起こるので、パソコンの前に座るのが至難の業でして、本日はこれにて失礼・・・。む、無念・・・。(6月10日 22時頃脱落)


 空梅雨から一転して台風て・・・。どうなってるんだ? 日本の気候は。
 てなわけで、毎日の気圧変化は目まぐるしく、よって偏頭痛は治らず・・・。
 決して全快ではありませんが、続きを書きます。

 「いまを生きる」とは、何だか哲学的なタイトルですが(笑)
 まぁ、年に1度くらいは、まともなことを書こうかと。
 誕生日になると、少し気持ちを引き締めようと考える。

 誕生日を迎えて、いつも思うことは、「私は本当に去年より成長したのだろうか?」ということ。
 私は常々、人とは「歳を取る」のではなく、「歳を重ねる」と思っている。
 それは木の年輪のように、少しずつ、けれど確実に、人生という層を成してゆくのだと。

 私は子供の頃、ひたすら早く大人になりたかった。
 何ごとも、親や先生の意見に左右されることなく自分の判断で決めたかったし、感性の合わない大人から、一方的な考え方を押し付けられない環境で生きたいとずっと思っていた。(まぁ、今でも、感性の合わない大人は周りにたくさんいるのですが、それは自分からなるべく近づかなければいい話ですしね)

 子供時代の私は、時間はだれにも平等、1日は24時間で、1年に1回しか誕生日はこないと知るほどには賢かったけれど、「若さ」というものは、過ぎ去ってからはじめて、「若かった」のだと知る、ということを知らないほどに愚かだった。
 そして。
 「若かった」と理解した今、とっくに「大人」という歳に達した今は、果たして私は本当に「大人」になれているのだろうか? と自問自答する。
 親の保護を受けなければ生きることさえままならない乳児から、庇護され養われ教育を受けさせてもらう青年期を経て、私たちは成人する。二十歳になれば成人として扱われる日本の国に生きていても、誰も自分が本当に大人になれているかどうかは判断しがたい。
 世の中には、いい歳をして・・・と呆れられるほど稚拙な犯罪や、子供よりもタチの悪い大人のイイワケが氾濫しているのに。

 人は、成人式を過ぎたから大人になるのではない。
 もう若くないから=大人になった、のではない。

 
 私の考える理想の大人像は、「今現在を楽しみ、常に明日を見据えながら、それでも、もし例え明日が来なくても後悔しないひと」のことだ。


 皆さまは、「Carpe diem」(カーペ・ディエム)という言葉をご存知だろうか?
 ラテン語で、直訳すると、「今日を摘め」という意味になる。

 本日のタイトルでもある「いまを生きる」は、1980年代の、ロビン・ウイリアムズ主演の映画タイトルそのまま。「Carpe diem」は、作中に出てくる言葉。
 ロビン・ウイリアムズ演じる、風変わりな先生が、生徒に詩を朗読させる。(クールなイメージのイーサン・ホークがピュアで内気な生徒役で出演している)
 「バラは摘めるときに摘め。時間は飛ぶように過ぎ去る。今日君に微笑んだバラが、明日には朽ち果てる」
 この映画の中で、この詩は「Carpe diem」、つまり「今を楽しめ、青春を謳歌しろ」という意味に捉えられている。

 この詩は、作者は忘れたが、高校時代から知っていた。
 当時の世界史の先生に教えてもらった。
 いい詩だな、と思ったけど、ただそれだけだった。(当時、もっとこの詩の深い意味を理解していれば、「若さ」というのは過ぎ去ってから「若かったのだ」と知る、という意味もわかっていただろうと思うと、非常に残念・・・)
 実はその頃の私は、哲学の先生から教えてもらった、「memento mori」(メメント・モリ)という言葉の方に惹かれていたのだ。
 「memento mori」は、ラテン語。直訳すると、「死を想え」、「死を記憶せよ」という意味になる。

 どちらも意味合いは同じ。「時間は過ぎゆき、いずれ人は死ぬのだから、今を精一杯生きろ」ということだが、「Carpe diem」が、「今を楽しめ」という楽観的な解釈に対して、「memento mori」の、「死を記憶せよ」は、ものすごく悲観的だ。

 だが、当時から私は、「いずれ人は死ぬ」ことを理解して生きるからこそ、「今出来ること」に感動できるのではないか、と思っていた。(この頃からすでに、天邪鬼で屁理屈好きなのね・・・)
 楽観的な性格は、根が悲観的であるがゆえ、楽観的になれる、とも思う。

 少し話はそれるかもしれないが、昨今、急激に増える若者の自殺を食い止めようと、「ゲートキーパー」なるものを育成しつつあるようだ。
 「ゲートキーパー」とカタカナ表記がすでに嫌いだが、つまりは昔からある「命の電話」の人のこと。自殺しようとする人を勇気付けて、自殺を食い止める係だ。
 たぶん、使われる言葉にもっとも多いだろうと予測できるのは、「あなたはひとりじゃないよ」

 しかし私は、その言葉に真っ向から異論を唱えたい。

 『人間は、ひとりだ』、と。

 
 こう書くと、さぞかし「人間嫌い」だとか、「孤独な人間」「冷たい人間」と思われるかも知れないが、前言は覆さない。(絶対、ゲートキーパーにはなれないね)
 しかし、こう続ける。

 『だからこそ、ひとと繋がりたいと思うんだ』、と。

 「いずれ死ぬ」ことを理解しているから、「今を一生懸命生きられる」ことと同じように、「人間はひとりだ」と思うからこそ、「人と繋がっていたい」と願うのだ。
 そしてそのために、「人を理解したい」「人を愛したい」と思い、その結果、人を理解して友情が生まれ、人を愛して愛情を育むことが出来る。
 人間は、ひとりでこの世に生まれでて、ひとりで死んでいく。
 生きるも死ぬも一緒だと誓い合っていても、寿命は人それぞれ。死ぬ瞬間はひとりなのだ。
 だからこそ、人間は、誰かを求め、人と繋がりたい、手を繋ぎたいと思うのだ。

 最初から、「人間はひとりじゃない」と思うから、「どうして私だけが孤独なのだ」と苦しくなる。
 「あなたはひとりじゃないよ」ではなく、「人間は孤独なものなのだよ」と言うべきだ。
 幼い頃は、親や大人が守ってくれた。
 しかし、大きくなるにつれ、親から巣立ち、自分で自分を守っていかなくてはならなくなる。
 人間は、もともと孤独なのだ。
 そう考えると、もっと世界はシンプルになる。
 友人がたくさんいる人は、それだけ、人を理解しようと努力した人だ。
 恋人や伴侶がいる人は、それだけ、人に愛情を注げるよう努力した人だ。
 いずれ死ぬことを知っているし、今を楽しむことを忘れない。
 そんなひとだ。
 
 何もせず、今を楽しめないのに、死すら記憶していない。
 孤独を理解出来ないから、どんどん自分の孤独が苦しくなる。
 いずれ死ぬのに、今、死にたくなる。
 それは、「仲間」や「絆」など、キレイなところばかりをクローズアップして、「孤独」という、マイナスなことを教えない学校や社会にも原因がある。
 社会は、「Carpe diem」の上っ面だけを教えて、「memento mori」を教えない。

 「死にたい」と思う気持ちを全面的に非難しているのでない。
 確かに、人間、そんなときもある。
 理由はさまざまだけど、何も考えられなくなるくらい落ち込んだり、無気力になったりすることもある。その中で「死にたい」と思うこともあるだろう。「死にたい」と「死ぬ」は、決してイコールではない。
 そんなマイナスな感情に陥ったときは、とことん孤独を味わいつくして、外側の人に対してじゃなく、自分の中の内なる心と向き合うことだ。
 そして、人と関わりたい、繋がりたいと思う気持ちを増幅させることだ。
 自分を深く理解して、初めて他人を理解する気持ちになれる。
 自分に優しくなれない人に、他人に優しくできるはずがない。

 
 私はマイナス思考に陥ったとき、この「memento mori」という言葉を思い出す。
 いずれ死ぬときは来るのだから、今は生きよう、と。
 そう思うと、少し心は軽くなる。
 いきなり楽観的に「今を楽しもうぜ、ヘイ!!」とはならないにしても、「今はとりあえず生きることをがんばろう」と思える。ただ自然に呼吸をして、少しずつ、色を取り戻してゆく。この世は美しいと思い出す。

 『心が開いているときだけ、この世は美しい』

 去年、私が書いた芝居のキーワードのセリフだが、(もともとはゲーテの言葉)
 それは、目には映らないこの世の美しさ。心だけが捉えることの出来る美しさ。
 人生の中で、「この世は美しい」と思える瞬間が、何度あるだろう。
 それだけ心を開いている時間は、どれくらいあるんだろう。
 どれだけ一生懸命になれたら、もっとこの世の美しさを感じられるんだろう。


 誕生日。
 年輪がひと巻き増えた日に、自分に問いかける。

 「今、お前は一生懸命生きているかい?」

 「Yes!! Of course!!」(←なぜにいきなり英語?)
 と、元気よく答えられるかどうかはともかくとして、私は今年も脚本のコンペに参加すべく、今、お話を考えています。
 もし、私が来年の誕生日を迎えられなかったとしても、作品が採用され、上演されれば、誰かの心に、少しでも何かが届くかもしれない。
 身は滅びても、作品は残る。誰かが、何かを覚えててくれれば、心は伝わる。
 それが書く人間、最大の喜び。
 ま、こういうこと言う人間に限って「お前は殺しても死なねぇよ」って言われるんですけどね(笑)
 まぁでも、いつも、「これが最期の作品になるかも」って気持ちで書かないと、良いセリフは出てこないわけで。自分で自分をけしかけてるわけです。うん。
 誕生日に、人から「おめでとう」という言葉はもらえるけれど、そして、そう言ってくれる人が傍にいることは、とても幸せなことだと思うけど。人間は、やはりひとり。自分の人生だけは、誰にも代わって生きてもらえない。自分の内なる闘志は、自分自身で湧き上がらせないとね。
 よし、がんばろ!!
 
 


2013-06-10 22:15  nice!(2)  コメント(1)  トラックバック(0) 
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ガラクタとダイヤモンド。 [日々思うこと]

 どーもどーも、猫たぬきです。
 しばらく…というか、前回の更新日は8月ですか。ほぼ一年ぶりの更新ですね(笑)
 もうすでに記憶から消されている可能性があるので、一応ご挨拶をしておきましょう。
 「どーも、奥さん。知ってるでしょぉう? 猫たぬきでぇございます」(←大泉口調で読めるアナタは立派などうバカです!!)

 さてさて。
 本日は猫たぬきの誕生日!! ということは、ブログ開設5周年でございます。
 いや~、最初は毎日更新していたのにねぇ…。そのうち、一週間に1回くらいになって、一ヶ月に1回になって、今じゃ年に1回の更新て…。
 パソコンの前に座るのは毎日のことだけど、ブログを開いて文章を書くのはホント久しぶりで、ブログの書き方を忘れてしまいましたよ。どうしましょ。何を書きましょうかねぇ…。
 前回書いたのは、朝カレーの話でしたっけ。
 じゃあ、今回は少し真面目に人生の話などを。


 3月11日に起きた東北大震災から三ヶ月。
 国会は何をやってんだか内輪もめばかりで、復興は遅々として進まず、未だ被災者は安定した日々の生活を送れず、不安の中にいる。
 福島原発から離れた静岡でも、一番茶に暫定基準値を超えるセシウムが検出されたりもした。
もうすでに、20キロ圏内だ、30キロ圏内じゃ計れない。どこまで拡散してゆくのかわからない、目には見えない放射能という恐怖にさらされながら、私たちは生きている。

 「もっと、自分の価値を考えてみるといい」

 これは、最近まで親しくしていた友人のセリフ。
 その友人とは、今は疎遠になってしまったけれど、いろんなことを教えてくれた大切な友人だった。
 だけど、時々、私にはよくわからないセリフを言った。

 「価値」とは、何ぞや?

 例えば、美術品や絵画、陶芸品などには、高値がつくことがある。
 高名な画家の絵がオークションにかけられれば、マニアが血まなこになって競り落とす。
 その絵画には、マニアならではの「価値」があるからだ。
 つまり、そのものの「価値」は、描いた当人ではなく、見る側の他人が決めている。
 「価値」というものは、「自分」が決めるものではない。
 宝石ひとつにしたって、ダイヤモンドの価値がわからない人間には、ただ光る石ころにしか思えない。小指の爪の先ほどの石に、何千万も払う人間の気が知れないと思うことだろう。
 売る側が、「これには、その値段の価値がある」と説明しても、買う側に価値がわからなければ、話にならない。
 「価値」というものは、片方が決め付けても成立しない。

 しかし。
 ものに価値をつけるのは、自分ではなく他人だと言ったけれど、私は、生き物に「価値」をつけるのを好まない。

 ペットブームにのっとって、人気の動物がペットショップで売れている。
 だけど、ブームが去ったら、その動物はどうなるのだろう?
 ペットを家族として扱う「ペット愛護者」が増える一方、心無い飼い主によって捨てられるペットが後を絶たない。
 かつて自分の元で共に生活し可愛がっていた動物の末期を、飼い主はどう思っているのだろう? 自分にとって「価値のなくなった」ペットはどうなろうが構わないから、そのようなことが出来るのだろうか。

 虐待する親は、子供の絶対的君主である。血という繋がりを盾にとって、しつけと称して虐待する。
 虐待された子供は、親から「自分は価値のない人間だ」という刷り込みを与えられて大人になる。
 何かにつけ自分に自信がなく、「どうせ私なんて」と思い込む。だけど、そんな自分が嫌で自信を持ちたくて、でも何をやっても自信が持てなくて、過去のトラウマに縛られて、ジレンマに陥る。

 今の国会は、被災者そっちのけで、わけのわからない内輪もめで時間とお金と電力を費やしている。(くだらないケンカはすべての電気を消してローソクでやればいいのに…)
 あの人たちは、自分で自分の価値を決めているような気がする。
 「私は素晴らしく価値のある人間なのだから何をしても何を言っても許される」と思っていように感じる。
 あの人たちの言う、「国民の皆さまのために、全力を尽くしてがんばっています」というセリフは、銀行のATM機から聞こえる何の感情もこもらない「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と同じに感じる。
 だから、被災地の人たちに「何をやってるんだ」と言われようとも、自分の価値を過信しているから何とも思わない。何とも感じない。「国民の皆さまのために」と、もっともらしく心のこもらない言葉を、ドヤ顔で、テレビ画面からお茶の間に流せるのだ。(ように、私は感じる)
 なのに、一国の総理ともあろう人物が、何も決められず、何も出来ず、責任のなすり付け合いばかりしている事実。
「国民の命を護るべき立場」にありながら、隠し事、キレイ事、嘘八百で、国民を危険にさらし、心配しているのは、「国会での自分の立場」のことだけ。

 自分がつける価値と、他人が評価する価値は、あまりにもズレている。


 「価値」って、一体何?

 私は自分のことを、「素晴らしく価値のある人間だ」と過信も出来ないし、どちらかというと、いつまで経っても自分に自信がなく、「どうせ私なんて」とイジケてウジウジする情けない人間で、「価値」うんぬんを考えたこともなかった。
 だから。
 私は、ものにも人にも、価値を求めない。
 何を見ても「価値あるものだ」とか、誰を見ても「価値ある人だ」とも思わない。
 「好き」とか、「大事」、『大切』だと思う。
 自分の大切にしているものは、壊さないように大事に扱うし、誰にも譲れない。
 それにどれだけの価値があろうと、まったく価値がないものだろうと関係ない。
 人もそう。
 誰がどれだけ悪口を言っても、評判が悪くても、私がその人のことが好きで、大切に思えるならどんな人でも構わない。
 自分の好きな人に、価値などつけられない。

 震災で亡くなった方も、大切な何かを守るために必死だったんだと思う。
 家族だったり、恋人だったり、友人だったり、町そのものだったり。
 「価値」があるから、守るんじゃない。
 心の命ずるままに、「大事だから」、守ろうとした。
 その証拠に、被災地で被災者家族が一番見つけたかったものはアルバムだった。
 「思い出」に価値などつけられない。
 誰もが無くしたくない一番大切なものだ。

 もう疎遠になった友人だから、今さらその話の続きは聞けないけれど、おそらくその人にとって私は「価値のない人間」に分類されたのだろう。
 「価値」を決めるのは自分ではなく他者なのだから、それも仕方ない。

 …んん? これがいわゆる「価値観の違い」ってやつか?!

 なんて、オチがついたところで。(え? オチてない?)
 あ。
 「価値観」という言葉で昔読んだ文章の一節を思いだした。

 『価値観が違うからこそが他人が自己とは違う所以なんです。
 己の器を広げる能力のない人には、価値観を言い訳にするしかないんでしょう』

 …深い。
 己の器が狭いのね、ワタシ。
 何ごとも受け入れる、懐の大きな人間。己の器の広い人。
 ソウイウヒトニ、ワタシハナリタイ…。
 …と思っていたら、疎遠になった友人と交差するように、私は、私を「大切」だと思ってくれる友人と知り合った。

 懐深き、器の広い人。
 傍にいて、話していて、ふと何気ないそのひとの気質に触れたとき、
 「あなたのような人間になりたいなぁ」
 と、言うと、
 「そのまま(の性格)で、いいんじゃない?」
 と、その人は言った。
 性格なんて一朝一夕で出来上がるものじゃなく、直すといっても簡単なことじゃない。
 大事なのは、自分が自分を愛してあげること。
 あとは、波長だと。
 自分が楽しい電波を出していれば、おのずと人が集まる。 
 それこそが、本物の友人でしょ、と。

 少し前に、別の友人も似たようなことを言った。
 「自分の長所と短所なんて、表裏一体だからね」とか。
 「自分のチャンネルと同じチャンネルの人間が周囲に集まるものだよ」とか。

 確かにその人と出逢ってから、また他の、とても波長の合う人と友人になれた。
 人との出逢いは不思議なもので、こうやって人は出逢いと別れを繰り返していく。

 この世に、無意味な出逢いなんて、ひとつもない。
 もちろん、心地良い出逢いだけではなく、苦い別れもある。それでも、私は人と出逢いたい。
 男とか女とか性別に関係なく、ただ「大切だ」と思えるひと。
 そういうひとと、出逢いたい。交流したい。心を通わせたい。

 ガラクタか、ダイヤモンドか?

 自分にとって、必要で、大切で、失いたくない、かけがえのない人は、誰が何と言おうと、自分にとってのダイヤモンドだ。
 道端に転がっている石っころのようなガラクタな自分も、見る人によっては、ダイヤモンド…には程遠いけど、水晶のカケラくらいには見えているかもしれない。
 この世で、この目で、ダイヤモンドを見つけだせる奇跡。
 素敵な冒険であり、発見だ。新種のダイヤモンドを掘り当てるかもしれない。

 明日も生きているか、確証がないからこそ、今日一日が大切に思える。
 カレンダーをめくったとき、「あれ? 今日あの子の誕生日だっけ」と思い出してもらえる存在。
 天災があったとき、「そっち大丈夫だった?」と心配してもらえる存在。
 何気ないときに、ふっと「あの子、元気かな?」と思ってもらえる存在。
 空を見上げるとき、月を仰ぐとき、この空の下のどこかで、元気に生きていて欲しいと思える存在。
 友人がそう思ってくれるように、私もみんなのことを思いたい。
 それこそが、シアワセ。
 それこそが、大切。
 だからこそ、人生は楽しいね。


 今日、私の携帯は、届いたメールでいっぱいだった。
 mixiメールにも、パソコンメールにも、「誕生日おめでとう!!」とメールをくれた友人たち。
 遠く離れて、年に一度逢えるか逢えないかの友人からもあった。
 嬉しくて、嬉しくて。
 365日の中の1日。
 何の変哲もない1日が、「おめでとう」で満たされる…。
 みんな、ありがとう。
 いつ、どこへ飛んで行っちゃうか、先のことはわからないけれど、とりあえず今の私は、静岡の地で元気に暮らしています。
 

 そして、このブログを読んでくださっているすべての皆さまに、愛と感謝を込めて。

 ありがとう!!



 さて。それでは、お茶にいたしましょう。(←おお、久々のフレーズ!!)
 誕生日だから、ワインでも。…と思いましたが、何と、このブログを書いてる間に結構な量のワインを飲んでしまいました。
 なので、新茶なぞ。
 セシウム検出で、揺れているお茶業界。
 だけど、そんなこと言ってたら空気だって吸えなくなる。
 赤ちゃんや子供には、将来どんな影響が出るか未知数だから控えるとしても、私は「このお茶は危険だから飲むな」レベルのものでない限り、普通に飲みます。
 今年の新茶は、今年だけのもの、だからね。


2011-06-10 23:07  nice!(2)  コメント(3)  トラックバック(0) 
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夢を見るべきか、見ざるべきか、それが問題だ。 [日々思うこと]

 夢は、「見る」ものでも、「語る」ものでもなく、「実現させるもの」だ。

 ……誰の言葉だか知りゃしませんが。歌の歌詞か、ドラマのセリフだったかもしれない。

 どうも、いらっしゃいまし。
 カプチーノなんぞ、いかがでしょうか?

 さてさて。
 猫カフェに新規のお客さまが到来。
 猫カフェは、年中お客さまをご招待申し上げておりますが、実際に訪れてくださるのはほんのわずか。どうにも、「ご招待」が「社交辞令」と思われてるのかしら?
 我が辞書に「社交辞令」という文字はないのだけれど…。いや、猫たぬきが如何にも怪しく思われているのか?(笑)
 さて。
 今回のお客さまは、若きイケメン油絵画家のY君。
 とある場所で、ひょんなことで知り合い、猫カフェにお招きしたお方。
 まず、初めに興味を持ったのは、彼の持つ雰囲気。
 「この人は、いくつの顔を持ってるんだろう?」と思ったのがきっかけ、かな。
 私が興味を持つ人って、やっぱりこのタイプなのかなぁ。「何を考えてるのかわからない」系の人、と言おうか。自分が単純な人間だから、複雑な思考回路を持ってそうな人に惹かれるのかも。
 彼の絵を見ると、もっと興味が深まる。
 私は絵を見て講釈を垂れるほどのアート知識には乏しいのだけれど、ものすごく想像力がかきたてられる絵。一枚の絵から、ものすごくたくさんのストーリーが生まれそうな絵。明るいのか、暗いのか、嬉しいのか、悲しいのか、相反する感情が一枚の絵の中に混在しているように見える。
 彼がデータ画像を送ってくれたので、パソコン待ち受け(と言うのか?)画面にしているのだが、ずーっと見てても飽きない。こんなに見てて飽きない絵は、岐阜城で見た信長の肖像画以来かもしれない。(ちなみに名古屋城には、信長、秀吉、家康の肖像画があります)

 さてさて。
 彼と会話を交わしての感想。
 うーん。今の20代って慎重だわ!! ということ。考えてることも深い。
 思慮深いとか、謙虚とか、まさにこういう青年のことを言うのだわ。
 如何に自分が浅はかに人生を生きてるか考えさせられる(笑)

 「夢を見ろ」と励まされ、「夢を見るな」と笑われる、そして今宵も目を閉じる……。
 ……焼酎のCMだったかな? うろ覚えなので間違ってるかもしれないけど、まぁ、こんな感じのことを言ってた回があった。
 「夢」って何だろう?
 夜寝てる間に見るのも、夢。
 「いつか白馬に乗った王子様が私を迎えに来てくれるんだわ」と思うのも、夢。
 医者になる、弁護士になる、役者になる、画家になる、脚本家になる、と思うのも、夢。
 夢がなければ、人生つまらない。だけど、夢だけでは生きられない。

 「僕は欲張りだから」
 と、彼は言った。
 確実に手に入れたいから、周りの状況を見ながら慎重に判断する、と。

 もちろん、ワタクシ猫たぬきも欲張りだから♪
 今やりたいことを、とりあえず口に出してやりたいと言ってみる。来年まで生きてるかどうかわからないんだもの、今やりたいから、やりたいと言って何が悪いの?的な計画性ナシの行き当たりばったり。この世の中、犯罪以外にやっちゃいけないことは何もない。何だってやっちゃっていいと思うの。もちろん、今日やりたいことが明日もやりたいことなのかはわからないし、思考なんてどんどん変わっていく。気まぐれと言われようが、夢ってそういうもの。でも、今日の夢を誰かに語れば、それが現実に近づくかもしれない。
 心の中で思ってただけじゃ、人には伝わらない。
 言葉にして表現して、初めて伝わる。伝わることによって、言葉がカタチある何かに変化することもある。
 それは夢だけじゃなくて、愛情表現だって何だって同じだと思うけどね。

 Y君から見たら、私は「何て夢見てフワフワ生きてる奴…」と思ったことだろう。
 でも最近思うのだ。
 夢を見るとか語るとかって年齢じゃないね。状況もあるし、性格もある。
 けど一番は、「タイムリミット」だと思う。
 人間、生まれたからには必ず死ぬ。だけど、自分が死ぬ日を誰も知らない。わからないから、怖がらずに生きていけるのかもしれないが。
 自分は何歳まで生きられるのだろう? その中で、どれほどのことを出来るのだろう?
 若い頃は、明日は永遠に来るだろうと、どこかで信じてる。
 だけど、年齢を重ねるにつれ、明日が確実に来るのかどうか疑問符がつく。
 だから、どんどん貪欲になる。
 生きてる間に、あれもしたい、これもしたい。まだまだやりたいことがたくさんある。
 どうも人間は、死を宣告されてから、生に執着するきらいがあるが、余命がわかってから、やりたいことを言い出したのでは遅すぎる。
 今日夢を見ないと、語らないと、いつその夢が実現するの?
 ちっちゃな夢から、壮大な夢まで、夢にはたくさん種類があるけれど、どうせ見るなら、人にも語ろうよ、実現させてみようよ。
 自分のやりたいことや夢を語るのは楽しい。
 人の夢を聞くのは、もっと楽しい。
 その人の、生き生きとした表情が見られるから。

 私は壊れかけのつり橋も渡っちゃうタイプのノー天気人間だけど、Y君は石橋を叩いて渡る慎重派。それも彼の性格だし、個性だし、魅力でもある。
 ま、だいたい逢ってまだ二度目の人間に、熱く夢を語るひとはいないか。(私は初対面でも語っちゃうタイプですが)今後付き合っていくにつれ、彼の内に秘めてる夢を聞いてみたい。

 私は、やりたいことしかやらない。
 それは、恵まれてるから言えるセリフだ、とよく言われるけど。
 「恵まれた環境を手に入れるための(もしくは維持するための)努力をしている」とは思ってくれないのかな?
 誰しも最初から恵まれた環境にいるわけじゃない。もちろん、果報は寝て待てなんてありえないし、棚からボタ餅も降ってこない。
 何かが欲しいという欲望は、夢を見るのと同じこと。
 夢を見て、夢を語って、何らかの努力をするから、夢が現実になるんだ。
 最初から何もイメージしてなければ、夢も現実になりはしない。
 自分は、「どんな夢」を見て、「どんな夢」を叶えたいのか。
 タイトルで「夢を見るべきか、見ざるべきか、それが問題だ…」と、ハムレットの嘆きのように書いたけれど、「~するべき」と言わなくても、人は夢を見るものでしょう。それを語るか、語らないか、実現させようと思うか、思わないかの違いだけだと思う。
 私のように節操なく人に夢を語っちゃう人間も如何なものかと思うけれど、夢は、口に出して言葉にした方が叶いやすいような気がする。(経験上、そう思う)
 「夢」というフワフワと現実離れした言葉がお気に召さないのなら、「目標」という言葉に言い換えてもいい。
 目標を達成させるためにどうすればいいか? 口に出して人に計画を語ったほうが、自分の頭の中だけで考えてるよりも、助言をもらったりいろんな気付きがあったりして、早くゴールに近づくのではないだろうか?

 久しぶりに、小学校の卒業文集などを開いてみる。
 ……書いてますよ、しっかり。「私の夢」(笑)
 お菓子屋さんになりたい、パン屋さんになりたい、喫茶店を開きたい。(食べ物関係ばっかりやね…)お花屋さんになりたい、文房具屋さんになりたい、雑貨屋さんになりたい……。
 どうも、私はお店を開きたかったわけですな。ま、今では「猫カフェ」の亭主ですが(笑)
 文集のページには、12歳だった私の「なりたいもの」が詰まってる。
 そして。
 絵本作家になりたい、なんてのも書いてますね。(絵なんて全然描けないくせにっ!!)
 ……しかしこの頃から、いろんな夢を節操なく語ってたのね。欲張りもいいところだわ(笑)
 中学生の頃には、はっきりと作家になりたい的なことを友達にも先生にも言ってたし、高校生の頃は文芸部で短い小説を書いていた。卒業して就いた仕事は、まったくモノ書きとは縁遠いものだったけど、紆余曲折あって、また昔の夢の通り、何かを書いている。

 夢は、たくさん語ったほうがいい。
 どんなカタチでも、なりたいという思いが強ければ、きっと叶えられるから。
 それが私の持論。

 さて。
 今のところの私の夢は何なのか?
 今年も北海道に行くこと。
 いろんなジャンルのたくさんの人に出逢うこと、話をすること、交流すること。
 おっと、忘れちゃいけねぇ。殿が私よりずっと健康で長生きすること(笑)
 そして。
 今、頭の中に抱えているシナリオのストックを紙の上で表現すること。
 私は死ぬまでに、何作の納得いくシナリオが書けるだろう。そのうちの何作が人の目に触れることが叶うだろうか?

 とりあえず今は。
 「春なのに」で上演する脚本を書くことに専念します。
 Y君と会話の中で刺激を受けて、何かが見えた。
 みかん遊演団を率いるあまる氏は、新作で冒険するより、演者のストックの中からやり慣れた演目を上演することを提案してくれたけれど、去年のチャレンジに対する今年のリベンジは、それじゃダメなような気がして。
 今日の私の夢は、今イメージしてるモヤモヤしたカタチにならないものを、キチンと脚本に仕立てること。それを、「春なのに」で上演すること。
 あまる氏の不在、K氏の出演辞退はイタイけど、強制するのも趣味じゃない。それより「やりたい」と思ってくれる人達で「最高のもの」を作りたい。
 それにはまず「最高の脚本」を書かなきゃいけないのだけど……。やりたいことと出来ることっていうのは、非常にギャップがありますなぁ……☆


 それではお茶にいたしましょう。
 本日、Y君にお出ししたのは、ダージリンティー、カプチーノ、煎茶。
 とんとん出てくるドリンクに、猫カフェのおもてなしに慣れてないY君は恐縮しきり。
 いえいえ。
 猫カフェの亭主、猫たぬきは「やりたいことしかやらない」主義。
 おもてなしをしたくなければ、お願いされてもお茶出ませんから(笑)
 受けてくれてこそ、猫カフェ最上の喜び。
 人の笑顔が、猫たぬきの幸せ。
 おもてなしは、「人のため」だけじゃなく「猫たぬきのため」でもあるのです。
 お返しが出来ず心苦しいなんて野暮なこと。どうぞご遠慮なさらずに。
 あなたの存在そのものが、今目の前で会話を交わしてくれてるこの時間…それこそがまさしくおもてなしの対価なのです。
 ……というわけで、カプチーノを。
 たっぷりの泡が幸せを運びます♪
 来週は、名古屋から新たなお客さまが猫カフェを訪れるご予定。
 さてさて。どんな夢を語ってくれるお方なのでしょうか?
 それではまた次回、お逢いしましょう……♪

 うおっと。もう朝だ。寝ないと!!……って、日本語が変だ(笑)


2010-01-24 06:57  nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
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暮~の何とか元気なご挨拶~♪ [日々思うこと]

 さて、もう2009年も残りあとわずか。
 明日からは、2010年。

 皆さまはこの一年、どんな年だったのでしょうか?

 私は、まさしく「出逢いの年」。
 この一年の間に出逢ったひとたちは、それぞれどんな年末をお過ごしなのでしょうね。
 皆さま、幸せな年末年始を過ごされることを願っています。 

 思い起こせば、ブログを書き始めたのが、2006年の6月。
 今回で4度目の年末のご挨拶ですが、今年のように、おコタでみかん。お酒片手に鍋をつつきながら、まったりと過ごすなんて、何年ぶりだろう。
 去年の年末は、祖母の葬儀のため高知でドタバタしてましたし、一昨年の今頃は、尿管結石で苦しんでいましたし、今年もクリスマス過ぎるまでは、ふたり芝居が終わってもバタバタしてたのに。
 まあ。
 終わりよければ、すべてよし♪
 今年一年、とても良い年だったということでしょう。(とってもノー天気)

 今年は「出逢い」に感謝出来る一年であったこと。
 人との出逢いに偶然はなく、出逢うべきひとと、出逢うべきときに、運命的に出逢っていく。
 そう思ってる私なので、今年出逢ったひとたちとは、何かしらの関係を結ぶべく、出逢ったと信じている。
 例えば「名刺」。
 名刺交換ひとつにしても、それを活用しなければ、単なる「紙切れ」。
 名刺は相手の情報が詰まった「魔法のカード」だと思ってる。必要最低限の情報があれば、それを繋ぐのも、切ってしまうのも、お互いの気持ちひとつ。
 私は出逢いを大切にしたいし、出来るなら次のステップに繋げたい。
 ひとりじゃ出来ないことも、いろんなジャンルの人が集まれば大きな力になる。もっと発想が自由で豊かになって、何か大きなことが出来るかもしれない。
 演劇関連の人たち、大道芸関係の人たちのみならず、ありとあらゆるジャンルの方々とお知り合いになれたことは、私の人生の宝物。
 宝箱の中に、たくさんのひとの笑顔が入ってる私は、とても幸せ者だと思います。

 やりたいことを、やっちゃおう!!……って年でもありました。
 今年3月、伽藍博物堂の演劇を観にいった折、大道芸人あまる氏に依頼されるまま、大道芸のことなんて何にも知らないくせに「リレー寸劇」を書いて、「春なのに 2009」に、みかん遊演団として飛び入り参加しちゃいました。
 ミュージカルを観たこともないのに、「書きます!! 書かせてください!!」と大見得切ったあのときと同じように、演出に関してはまったくのド素人なのに、作・演出としてK氏とMちゃんとでチームを組んで、ふたり芝居の公演を打っちゃいました。

 もし。
 私が思慮深くて、行動に慎重な性格だったら、とてもとても出来なかった大胆な行動。
 「石橋を叩いて渡る」の正反対、「腐ったつり橋でも何とか渡れる」とどこかで思ってるノー天気さが、私を走らせる。
 もちろん、やり終えたあとで、反省することはたくさんある。
 でも後悔はしてない。
 時間は未来にしか進まないのだから、「やらなかった」という後悔よりも、「やって」反省する方が、人生にとって有意義だと思うから。(もちろん「犯罪以外」ですけどね)
 やれば、何かしらの結果は出る。
 その意見を受け止めて、反省して、次に繋げないとね。
 チャレンジのあとは、リベンジがある。
 人生、いくらでも巻き返しはあるのさ。
 何もやらなきゃ、何も生まれない。
 初めの1歩は誰もが臆病になるけれど、踏み出さなきゃ何かを得られない。
 そう。
 何と来年の「春なのに2010」では、みかん遊演団が正式参加!!
 今年の飛び入り参加があったからこその、来年の正式参加。
 今年のリベンジを果たすべく、レベルアップした舞台をお見せしなくてはいけません。(そのためにも早く脚本を仕上げなきゃね……)

 人生は長いようで短い、短いようで結構長い。
 生き生きと、楽しんで人生を送らなきゃもったいない。
 来年も、「やりたいこと、やっちゃおう!! 2010」に続きます(笑)

 それでは。
 今年も一年、猫たぬきのブログを読んでくださってありがとうございました。
 皆さまの来年が良いお年であることを願うと共に、皆さまの幸せをお祈りいたしております。


             気ままカフェ 亭主   猫たぬきより

                      閲覧してくださったすべての皆さまに「愛」をこめて・・・♪


2009-12-31 23:59  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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事実は、小説よりも奇なり……? [日々思うこと]

 「家宅捜査」されてしまいました。

 どうも、いらっしゃいまし。
 暑いときには熱い飲み物、カフェモカなどいかがでしょう?

 ニュースです!!
 本日、夕方4時半頃、猫たぬき家が「家宅捜査」されました!!
 ……。
 とはいえ。
 良くないブツを隠し持っていたわけでも、良からぬ草を育てていたわけでも、ダンナさまを刺し殺すという刃傷沙汰をおこしたわけでもございません!!(……当たり前?)
 さて、本日のお題。「非情事態時における人間観察」です。……猫たぬきの人間性を疑われそうですが。

 今日は日曜、いつもなら「芝居稽古の日」なのですが、役者のK氏からメールで「あーだめだーこのちょうしだといつかしぬー」と、体調不良を訴えてきた。(←人間誰でも「いつか」は、しぬんだよ。と、クールにツッコミたいけれど、さすがに空気を読んでやめときました……)
 相手役の役者にその旨を伝えると、「じゃ、私も今日は大事をとって家でひとりで練習します」というメールが帰ってきたので、稽古は取りやめ。
 久しぶりに競馬中継を見て、お茶を飲んでいたら……。
 はて?
 どこからか、機械音がする。
 「何か鳴ってない?」
 「どっかで目覚ましが鳴ってんねやろ」
 「目覚まして、もう夕方やん!!」
 などと言っていたら、何とその音の正体は「警報機」。
 取るものもとりあえず、着の身着のままで非難……するかと思いきや、私は至ってのんきにお茶を飲んでいたのでありました。(災害のときは確実に死ぬね……)
 外では何やらサイレンが鳴っているけれども。そのまま何の非難もせず、のんきに食器を洗っていたら、様子を見に行っていたダンナさまが帰ってきて、
 「ウチやって」
 「何が?」
 「火災の現場」
 ……。
 しばし、フリーズ
 「ええーっ!!」
 ……と、ベタに驚いてるヒマもなくドヤドヤと、消防署の人たちと、地元消防団の人、何と、警察の人までが、部屋の中に押し寄せてきたのでした。
 もちろん、地元消防団の人を見たことない私は、制服組にまぎれて入ってきた私服の人に対して、「あんた誰?」という不審な目で見てたんでしょうな。向こうから、「あ、地元の消防団員です」と名乗ってきた。……どうも失礼しました。
 「火災報知器くまなく点検して」
 と、トランシーバーから指令が飛んで、各部屋、押入れ、物置、トイレまで。ありとあらゆる部屋の隅々まで開け放して火災報知器の点検をする。
 ……。
 あまりに急なことなので、現実を把握するまでに数秒かかる。
 ……家宅捜査じゃん、これ!!
 いやいやいや、ウチ燃えてないっすから!!
 そんなとこ開けても、変なものは何も隠してないっす!!
 礼状はあるんですか、礼状は!!
 などと、ボケるヒマも与えてくれず。(……というか、何で火災報知器ってこんなにいっぱいついてるんだろうねぇ)

 しかし、私はモノ書き。転んでもただでは起きない。
 こんな非情事態、めったに経験出来るものじゃない!!
 折りしも今書いてる台本は、拳銃や刑事が出てくる。(厳密に言うと刑事は声だけなんだけど)
 こりゃ、見逃す手はねぇぜ!! ……と、ばかりに「警察の人ウオッチング」開始。
 へぇー、警棒って意外と短いんだなぁ……。ふぅん、手錠はこっち側についてるのかぁ。取りにくくないのかね? 拳銃のホルスターは。……あー、拳銃見たいなぁ。日本の拳銃ってどれを採用してるんだろう? 実弾入ってるのかな? 空砲かな? 出来たらホルスターから抜いて構えてみてくれないかなぁ……。
 ……挙動不審で捕まりそうな勢いで見てましたが。

 ウチが火災現場だっつってんのに、何てのんきなんだ猫たぬき!!

 ……それにしても。
 稽古が中止になってて良かったよ。
 台本の読み合わせ&立ち稽古してたら、大変なことになってたかも。
 女に拳銃を突きつけて、「憎いさ。今すぐ引き金を引きたいくらいにね!!」なぁんて熱の入ったセリフを放っている最中に警察の人が入ってきたら、たちまちK氏は取り押さえられるね。
 殺人未遂の現行犯で逮捕?! ……違うって!!(笑)
 モデルガン所持って、銃刀法違反になる?(もちろんプラモデルだし、BB弾すら入れてないけど)
 人に向けてはいけませんって注意事項に反しているだけでアウト?
 演劇の稽古って言って、信じてもらえるのかなぁ……?
 いや、むしろ一回ホンモノの手錠かけられてみるのも役作りにはイイ経験か?(って、ヒトゴト?)

 火のないところに煙は立たず、と言うけれど。
 火も煙も立ってないところに、何で火災報知器が鳴るわけ?
 ウチのマンションは7階建て。40戸くらい部屋数があるのに、なぜウチだと断定出来るんだ?
 しかも鉄筋コンクリートのマンションなのに、「雨漏りしてませんか?」って聞かれるって。
 それって、欠陥マンションじゃん!! シャレにならんわ!!
 火災報知器って、漏電でも鳴っちゃうらしくて。
 でも、ウチは絶対雨漏りなんてしてないので。
 結局、遠くにある管理会社から人を呼んで調べてもらうということで、ひと段落。
 消防署の人も、消防団の人も、警察の人も引き上げてしまわれました。
 ああ、拳銃をホルスターから抜いて構えるところを見たかった……。(シツコイっ!!)

 しかし、考えてみると。
 ウチ(というかダンナさま)は、そういう特殊なコトに出逢うのは、あまり珍しいことではなくて。
 大学生のとき、バイトしていたカフェの出前で行った先は、ヤのつく自由業の方のお宅。
 「どうもごくろうさま」とニコヤカに出てきた奥様はキレイな人で、しかしその部屋の奥では、今まさに血が流れんとするド修羅場。「指ツメたろか!! コラァ!!」という怒声が聞こえてきたとか……。ニコヤカに笑いながらお金を払う奥様は、「ごめんなさいねぇ、騒がしくて」と、これまた日常茶飯事的な受け答えだったらしい。(う~ん、スゴイ世界だ)
 またあるときは、仕事である島に行ったときのこと。
 仕事を終えてひと段落、島に一軒だけある食堂で会社の人と一緒に昼食をとっていた最中、入ってきたのは、これまたヤのつく自由業とおぼしき兄貴と子分ふたり。
 「電話借りるで!!」
 と、子分の一人がダイヤルを回してどこかに電話をかけ、「逃げた?! フェリーで? ……。どんな服装? 目印は? 何ぃ? 赤いポシェットぉ?!」
 セリフだけ聞くと、思わず吉本新喜劇かと吹き出してしまいそうなやり取り。
 目印が「赤いポシェット」て!! ギャグか!!
 ダンナさまは、ポカンとしたままことの成り行きを見送ったとか。(私がその場に居たら、きっとあまりのおもしろさに味噌汁吹いてるなぁ……)
 で。兄貴はそのまま肩で風を切って出て行き、子分は律儀に電話代の十円を置いて出て行きましたとさ。(仁義に厚い任侠の世界の人は、通常一般市民に迷惑かけないものさ)
 食堂のおばちゃんの説明によると、兄貴の女房と子供がフェリーで島を出て行ってしまったらしく(島は二時間に一度しかフェリーは来ない)、年に一度はこんな光景があるそうだ。(……女房と娘は無事に島から逃げ切れたのだろうか?)
 あと、シルクハットを被った男性が、前が大きい車輪で後ろが小さい車輪の自転車に乗っていたのを見たことがあるとか。(それってまるで、チャップリンやん)
 ツーステップするハトとか。(これは私も一緒に目撃しました)

 ダンナさんと過ごす日常生活は、結構デンジャラスだ。
 何の変哲もない「普通の日曜日」を、「家宅捜査される日」に変えてしまう。
 私は今まで「職質されたことがない」のが自慢だったけど、「家宅捜査」は想定外だったなぁ。
 結婚式で、「健やかなるときも、病めるときも、死がふたりを別つまで、愛することを誓いますか?」とは聞かれたけど、こんな「特殊な出来事を一緒に体験する」ことも含まれているのかしら?
 う~ん(--) これから先、どんな珍事が待ち受けていることやら……。

 しかしながら当人は、どうにも特殊な出来事や特殊なコトの対応に慣れている。
 慌てず騒がず。
 きっと地球が宇宙人に侵略されたとしても、地球最後の日でも、のんびりコーヒー飲んでるんだろうなぁ……。
 
 あ、ちなみに。
 この事態の収拾がついたのは、夜遅く。(と言っても宵っ張りの猫たぬき家では、どうってことない時間帯。だが、普通の一般家庭では警報機が鳴ったらビックリするであろう時間)
 やっとこさ駆けつけた管理会社の人が調べたところ、火災報知器の故障でもなく、ウチの部屋の雨漏りでもなく、マンションの廊下に据え付けてある火災警報器の漏電だったそうな。
 迷惑な話だねぇ。ウチは家宅捜査までされたというのに……。
 幽霊の正体見たり枯れ尾花? いや、ちょっと違うかな。大山鳴動してネズミ一匹……ってとこですか。大騒ぎしたわりに、そこかいっ!!みたいな。
 その時間、私はTっちと一緒にカレーを食べながらのんきに密談していたので(どこまでもマイペースな猫たぬき)、ダンナさんに後から聞いた話だけど。
 人騒がせな報知器騒ぎの幕切れは、呆気ないものでした……。


 それではお茶にいたしましょう。
 今日は、殿のリクエストで、カフェモカを。
 通常カフェモカは、エスプレッソにチョコレートとミルクを合わせたもの。
 ウチのカフェモカは、純ココアを少量のお湯で練り、その上からコーヒーをドリップする。
 たっぷりあわ立てたフワフワミルクを乗せて、チョコレートシロップをかけて出来上がり。
 純ココアを使うので、甘すぎずくどすぎず、程よい甘みが疲れた心と脳を癒します。
 それではまた次回、お逢いしましょう……♪

 
 


2009-08-03 02:33  nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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暮~のドタバタなご挨拶~♪ [日々思うこと]

 今年もイロイロありました……。

 どうも、いらっしゃいまし。今年最後のお茶、煎茶を一服いかがですか?

 さてさて。
 この「暮~の○○なご挨拶~♪」を書くのも三回目となりました。
 ブログを初めて、二年半。今年もイロイロありましたなぁ……。
 何でしょうね。
 ワタシの一年の総決算は、いつもこの師走にあるようで、12月に入ってから頻繁に頭痛がしたり、風邪を引いたり、……ラジバンダリ。(←ただ言いたかっただけ) 
 体調管理の面でいつも以上に気を使わなければならない月となりました。去年は憎っくき「尿管結石」(しかもしかも、M-1と有馬記念の重なる日にっ!!)で一年の清算をしましたが、今年は「尿管結石」にもならず、M-1グランプリも見て、有馬記念も見て(馬券はハズしましたが)、このまま今年は安穏と終わるのかと思いきや……。
 いやはや、人間の運命とはいついかなることになるか解りませぬな。
 前回(前々回かな?)で、「生きるということの独断的持論」の中で、「いつ死ぬかわからないからこそ、日々を精一杯生きるべきだ」みたいなことを書きましたが、これも何か「予兆のようなもの」を感じていたからかもしれません。
 先日、母方の祖母が亡くなりました。
 年末の慌しい中、お通夜、お葬式を済ませて帰って来たところです。
 92歳の大往生ですし、苦しまずに眠るように息を引き取ったということなので、よかったと思わなくては、と思うのですが、やはり「人の死」というものは切ないものです。骨を骨壷に収めたときには、ふと、今年の7月に水曜いきまshowで演った「グラス一杯の夢」のお芝居の中で自分が書いたセリフ、「不思議ね。一昨日まで生きていた人が、こんな小さな壺の中に納まってしまったの……」と嘆く那津子のセリフが耳をよぎりました。
 でも人生には、必ず救いがあります。
 「今の私にはもう何も残ってない」と嘆く那津子に対して、バーテンダーのカズが静かに言います。「あなたの中には、お母さまと過ごしたたくさんの思い出が残っているはずです」、と。
 人生に意味のない時間なんてない。
 この芝居の中で言いたかったことは、まさに帰りの新幹線の中で母と交わした祖母との思い出話の中にあったのかもしれません。
 生まれてきたからには、必ず死を迎える。しかし、生きている時間の中で、人は数々の思い出を残していくのです。思い出の中に、その人は生きているのです。
 このシナリオは、祖母からのメッセージを受け取って書いたものなのかと思っています。

 何だか湿っぽくなってしまいましたが……。
 死の悲しみがあるからには、誕生の喜びがあります。
 今回、那津子役をやってくださった女優さんが、来月出産されます。
 これも何かの縁でしょうか?
 今年初めて出逢ったひとの中で、運命的に私を芝居の世界へ導いてくれたひと。
 丈夫で元気な、そして彼女が安産で、この世に赤ちゃんが誕生してくれることを祈ります。
 
 so-netの更新数を数えてみると、今年の記事は何とたったの24記事!!(実は、ここ訂正してます。昨日まで「80記事」と、たわけたことを書いておりましたが、数えなおしたら「24記事」しかなかった……グスン) ……猫たぬき、あまりにもたるみ過ぎ!!
 来年は、もう少し……週二回、いや、せめて一回(目標低っ!!)……。50記事は更新したいと思っております……。(ここも訂正してます。100記事書く!! と大風呂敷を広げて申しておりましたが、半分の目標に下げました……根性ナシです、はい)
 楽天ブログ「猫たぬきのシナリオはどうでしょう?」 
 http://plaza.rakuten.co.jp/saikoro123/ 演劇についてや日々思いついたことを短く書いております。こちらもどうぞヨロシクお願いしますね♪

 今年も一年、猫たぬきのブログを読んでくださってありがとうございました。
 皆さまの来年が良いお年であることを願うと共に、皆さまの幸せをお祈りいたしております。


             気ままカフェ 亭主   猫たぬきより

                      閲覧してくださったすべての皆さまに「愛」をこめて・・・♪


2008-12-31 23:27  nice!(4)  コメント(9)  トラックバック(0) 
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「私は不幸です」と言う人の、本当の不幸。 [日々思うこと]

 今年最後の芝居を観に行きました。

 どうも、いらっしゃいまし。一杯、いかがですか?

 いや~、年の瀬ですなぁ。
 なのに、今月最初の更新です。……って、今年あと一週間も残ってないやん(笑)
 というわけで、猫たぬき的、今年一年を振り返ってみましょう。(もう年内更新しないつもりか?)
 今年は「芝居」に目覚めた年で、今までの人生の中で一番「芝居小屋」に足を運んだ年でした。
 パンフレットやチケットは大事に残しておく主義なもので、(だから部屋が片付かないんだよ、と自分ツッコミ……)今年観た舞台は、ひいふうみい……11回。約月イチペース。私にしてはすごい。なぜならワタクシは比較的広い映画館も辛いくらいの「閉所暗所恐怖症」でして、「狭くて暗い空間の中に閉じ込められる」というのは私の中では拷問に等しかったのですが、「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」で、「芝居を体感したくば、芝居小屋へ足を運べ」というわけで……。いやはや、なせば成るもので、今では一時間ちょいくらいなら狭い空間も暗い空間も平気になりましたさ。人間、変われば変わるものですな。 
 で。
 芝居は夜公演なので、時間つぶしついでに髪を切りました。
 結構長くなりすぎてうっとうしかったし、お風呂上りに髪を乾かすのに時間もかかるし、それより何より、お笑いの「ハイキングウォーキングのQ太郎」に似てきたような気がして……。(いや、もちろん顔じゃなくて雰囲気がね。別に「卑弥呼さま~」をやるわけではないですよ)
 ま、新しい年になる前にバッサリといっちゃいますか!! と思って、本当に肩のところでバッサリと切ったら、今度は「金太郎」になっちゃいました……。(いや、もちろん雰囲気がね。別に「マサカリかついで熊に乗ってる」わけじゃないですよ)
 ま、ふざけた話もオチがついたところで、(どこが?) 本日のお題にまいりましょう。決して忘れていたわけじゃないのよ。本日のお題、「本当の不幸は誰が生み出す?」です。……前フリと何の関係もないやんってツッコミはナシよ(笑)

続きをどうぞ♪


2008-12-27 02:03  nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
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「なりたい自分」になろう!! [日々思うこと]

 理想のひと、っていますか? そのひとは、どんなひとですか?

 どうも、いらっしゃいまし。
 熱い紅茶でも、一杯いかがですか?

 さて。
 しょっぱなから何ですが、今回は愛バナではないので、理想のひと、と言っても異性のことではなく、恋愛話でもありません。
 ところで。
 皆さま、ストレス抱えてませんか?
 ……話がえらい飛ぶやんけ、とお思いでしょうが、この一見何の繋がりもないようなお題ふたつが、ちゃんと(か、どうかは定かではないが)繋がっていきます。今回は、「理想のひと」と「ストレス」について考えてみました。

 まず、「ストレス」について。
 この世の中、右を向いても左を向いてもストレス三昧。イライラしない日なんてない。そんな人が多いのでは?
 会社では、人間関係でストレス。仕事の悩みでストレス。テレビをつければ、国会も世間の事件もイライラする内容ばかり。恋人や夫、友達とケンカしたとか……。
 大きな問題から、ささいな出来事まで。
 他人からしたら「大したことない」ことでも、本人にとっては、重要な問題であり、ストレスの上限はないのである。
 しかし、ですね。
 実は、ストレスというものを作り出してる半分は、「自分」なんですよ。
 それについて検証してみましょう。
 本日のお題、「なりたい自分になるには」です。

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2008-10-07 21:04  nice!(4)  コメント(7)  トラックバック(0) 
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「良いサービス」「悪いサービス」の基準って何? [日々思うこと]

 「良いサービス」とは、何か?
 これって基本中の基本だけど、「(客にとって)気持ち良いと感じるサービス」である。(最初にお断りしておきますが、決してピンク系のお話ではありません)

 どうも、いらっしゃいまし。温かいお飲み物をいかがですか?
 本日のお題「人の振り見て、我が振り、ちょっと考える」です。

続きをどうぞ♪


2008-10-01 16:23  nice!(3)  コメント(5)  トラックバック(0) 
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