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自分の中の常識を疑え。 ~愛しのフランキー・ヴァリさま その①~ [音楽の話]

 体調の悪いとき。
 シナリオにしろ、ブログにしろ、ふっと浮かんだネタ、書きたい!と思ったニューススポーツネタなど、キーワードだけを書いて下書きに入れる。体調が良くなったら書こう、と・・・。
 シナリオはさておき、ブログは〆切という強制力がないので、ついつい後回しになる。
 なので、下書きはどんどん溜まっていく。書きたいネタは溢れているのに、しっかりと書き込む時間と心の余裕がない。
 特にニュース、スポーツ、時事ネタなどは、お笑いネタ同様、旬であることが前提。
 「いつ書くの?」 「今でしょ!」って時を逃すと、とたんに色褪せる。

 さて。
 その中で、どーしてもどーしてもどーしても(3回も言うな)書きたいネタなので、下書きから引っ張りだして書きます!!
 カテゴリー的には、音楽の話、かな。「私は歌に恋をする」第二弾というところ。
 でもこれは「旬」というよりも、何とも不可思議で、私がいつも言っている「縁」の話のようで、どこか不思議なオハナシ。
 でも、どう不思議なのか? たぶん、今回の「その①」だけ読んでもわからないかも^^;
 三部作くらいになるかもなので、気長にお付き合いください。
 その①は、タイトル通り、私が如何にしてフランキー・ヴァリさまのとりこになったか、という暑苦しい想いを、小ネタを交えながら語ります(笑)

 「フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズ」ネタ、第1弾。
 というわけで、いつも通り長~い前フリがまだまだ続きます。

 
 世の中には、「常識」というものがありますよね。
 例えば、「髪を洗うのは、シャンプーが先で、コンディショナーは後」だとか、「敷布団の上に寝て、掛布団をかぶる」とか。
 人が聞いて、「当たり前~当たり前~当たり前体操♪」と思うことが、いわゆる世間での常識。

 しかし、世間ではどうか知らないが、自分だけの常識というものを、みんな少なからず持っている。
 例えば、「オムレツにはケチャップじゃなく、ウスターソースが当たり前」とか、「歯は、歯磨き粉じゃなく塩で磨く」(これぞワイルドだぜ)、「寝るときは裸」(マリリン・モンローか?)とか。
 人が聞いたら「え~?」と思われそうなことでも、自分では「普通じゃん」と思ってることが結構ある。
 が、この「自分常識」というのは、時に「思い込み」、または「知識の浅さゆえ」というものもある。
 人から教えられて、目からうろこ。「え~!!」と驚愕することもある。

 今回、私が言いたいのは、その例。
 さてさて、お疲れさまでした。やっと本題です。

 「人は思い込みで生きている」
 何かのCMのコピーだったと思うが、まったくその通りだと思う。
 そして。
 「よく忘れる」という特徴を持っているのも、人間だと思う。
 その時、その時は、覚えたつもりでいても、後で思い出そうとしても、思い出せない。
 例えば、運動会の100M走で必ず耳にする曲など、誰がタイトルを正確に覚えているだろうか?

 以前、私が音楽を好きになるのは、たいていが「聞き流し」から、だと書いたことがある。それは幼少時代の音楽環境が大きく関連していると思っている。
 うちの家は、テレビをつけていないときは、たいてい音楽が流れていた。
 それも、歌詞のついていない音楽。イージーリスニングと言うのだろうか、ポール・モーリアや、リチャード・クレイダーマンなどの、個性が強すぎず、何かをしながら聴いていても邪魔にならず心地良い音楽。
 母親によると、曲は何でもいいらしいが音がないと寂しいし、テレビだと画面が気になって家事に集中出来ないから、だそうで。そういう環境に育ったからか、私も同じような習慣が身についてしまった。
 「勉強中はラジオを聴く」というのが定番だった世代だが、私の耳は、周りの人間が発する会話はすべてセリフに聞こえてしまうので、そちらが気になって勉強に身が入らない。(決して勉強したくないイイワケではない・・・と思う)次第に、流す音楽は限られてくる。今でも、持っているCD類は、歌詞のないタイプが多い。
 シナリオを書き始めると、もっと音に対してストイックになり、人の声だけじゃなく音楽すらも耳障りに感じることがあるので、無音で書くことが多くなった。
 もともと音楽に造詣が深いわけでなく、クラシックやジャズは何となくわかる。ソシアルダンスを習ったことがあるので、タンゴやワルツなどのダンス音楽も何となくわかる、という程度。それ以外は、どれがロックでどれがフュージョンで・・・など、ジャンルわけも満足に出来ない。
 ライブで照明を当ててるくせに、サウンドチェックのときに音響の人の横にいて、「この音楽ってロックですか?」という間抜けな質問をしてしまうこともある。(超失礼な奴・・・)
 だから音楽に詳しい人がいると、それだけで理由もなく尊敬してしまう。何かにアツイ人間は、それだけでとても魅力的なのだ。言ってることの半分もわかってないのだけど、熱を帯びた声で話す人も、その話を聞くのも、とても好きだ。

 さて。
 こんな音楽知識に貧困な私なので、所有するCDは人より格段に少ないと自負している。(平均が何枚くらいなのか知らないが)
 たまに、街中で聴いて気に入った曲のレコードやCDを買いたくても、タイトルも歌手名もわからないんじゃ、買う手段がない。さすがに、お店でサビの部分をアカペラで歌ってみる勇気はない。
 そのうちぱったり巷で流れなくなって、そのまま私とその音楽とは自然消滅ってことがままある。
 だからサビの部分しか知らなかったり、「聴いたことはあるんだけど・・・」という音楽ばかり。
 未だに、カラオケで十八番の曲はひとつもない。
 歌手名、タイトル、曲。すべて知っていて「知ってる」というのならば、私は音楽をほとんど知らないことになる。
 音感もなければ、音楽的知識もない。
 音楽という字の如く「音を楽しむ」的な感じでしか、音を聴かない人間。
 だからこそなのか、耳すらも我がままなのか、不快な音は敏感にわかる。

 ファンの方には大変申し訳ないが、私は、きゃりーぱみゅぱみゅ嬢と、ゆず氏の声がどうにも苦手なのだ。
 歌詞を聞いたらすごく良い曲なのかもしれないが、周波数の関係なのか、あの方たちの声は、私の耳には不快に届き、どうしても愉快になれない。(あと、化粧品のCMの声で、どうしてもダメなのがある。どこの化粧品かもわからない。声を聞いただけでテレビを消してしまうから・・・)
 我がままと言われてもいい。
 聴いて楽しくなれない音とは、絶対に付き合いたくない。
 楽しくなる音だけを、ずっとずっと聴いていたい。
 そういう意味で、非常にメンドクサイ人間なのである。

 
 そんな「私と音楽の悲しい歴史」を持つ身にとって、ある革命が起こったのである。
 年を経てさらにさらに素敵になった初恋のひとに、再び巡り逢えたような、そんな感覚。

 BS-TBSで放送していた音楽番組「SONG TO SOUL~永遠の一曲~」を見たときだった。
 この番組は、毎回ひとつの曲目を選んで、その曲が出来上がるまでのエピソードなどを、アーティスト、作詞家、作曲家、アレンジャーなどのインタビューや、制作秘話を構成して作る、とても良質な音楽番組である。
 その日の曲のタイトルは「君の瞳に恋してる」
 タイトルを覚えない私は、その曲が、自分が昔好きだった曲とはつゆ知らず、ただ番組の始まりのイントロが印象的で、何気なく見始めたのが、この不思議なオハナシの幕開けと言っても過言ではない。

 この番組、まず最初のイントロに惹かれる。
 イントロから、一枚のレコードがプレイヤーにかけられる・・・。
 流れてきた曲は、聴いたことのある英語のフレーズ、そして、フランキー・ヴァリ氏の声。

 そう、例えるなら。
 赤ちゃんの、その柔らかな頬に指で触れ、眠りから覚まさないようにそっと耳元で囁くかのような優しい声。その声は甘く、かといって決して甘すぎず、耳を心地良く撫でる羽根のようなやわらかさをもって、私の耳に流れ込んできた。

 私の少量の音楽メモリーの中にはなかった声。

 
 しかし、この歌詞には覚えがある。絶対、聴いたことがあるはずなのだけど・・・。


 曲のタイトルは「Can’t take my eyes off you」 邦題は「君の瞳に恋してる」
 番組が進んでいくにつれて、事実が判明した。
 私は、子供の頃に聴いたカバー曲を、原曲と思い込んでいたのだ。
 私が知っている歌は、ボーイズ・タウン・ギャングというバンドが歌っていたカバー曲の方だった。(う~ん、タイトルどころか、誰が歌っていたかも今初めて知った・・・)
 当時流行っていたディスコ(今はクラブって言わんと通じないね)ダンスミュージックに編曲された、アップテンポな曲だ。
 そういえば当時も、サビの部分の「Oh,pretty baby~♪」という歌詞を聴くたびに、「女性ボーカルが、どうして相手に向かってpretty babyって歌うんだろう~?」って疑問はあったのだけどね。そこはほら、英語もよくわからん子供だったから。(かといって、大人になっても英語が出来るわけではないが)

 つまり、原曲は私の生まれる前の歌。
 フランキー・ヴァリ氏が歌っていたこの曲だったのである。

 革命が起きたときって、こういう心境だったのかなぁ。
 自分の中で「常識」だと思っていたことを、「違うよ!」と知らされる瞬間。

 子供の頃。
 誰の歌かも知らない、タイトルも知らない。
 レコードもなく、英語の歌詞も理解できず、それでも大好きで、どこかで流れるたびに聴いていた曲。
 時は流れ、いつしか巷からその曲が消えて、時折、声やメロディー、テンポが違う、別のカバー曲を耳にしても、やはり何か違う気がして。
 最初に出逢った歌を、それが原曲だと錯覚し、疑いもせず私の中でスタンダードになった。
 音楽は、時代の象徴でもあるが、自分が歩んできた人生を彩るものでもある。その曲を聴いていた頃の思い出が、人生のそこここに刻み込まれている。
 原曲を聴いて、自分の中の歴史がよみがえり、それが覆される。
 その瞬間。
 不愉快というよりも、何だかとてもホッとする。
 やっと逢えたね。という感じ。
 ひととの出逢いと同じように、私はやっと、この曲「Can’t take my eyes off you」に出逢えたのだ。
 

 この「Can’t take my eyes off you」は、私が原曲だと思っていた、ボーイズ・タウン・ギャング以外にも多数カバーされている。
 私よりもっと後に生まれた人は、どの歌手のカバーを原曲だと思い込むのだろう?と思った。
 そして、その音楽と共に、どんな思い出を人生の中に刻み込むのだろう。

 それでも。
 いつの日にかきっと、この原曲にたどり着く。
 幾年もの時代が過ぎ去ろうと、どれほどの斬新なカバー曲が巷に流れようと、音はいつか、自然な音へと還っていく。いつかきっと、この原曲にたどり着く。
 フランキー・ヴァリ氏の、あの甘すぎない、耳を心地良く撫でる声に。
 ボブ・ゴーディオ氏の生み出した、この素晴らしい名曲に。

 自分の中の常識が覆される快感を、いつ味わうことになるのだろう。

 私はもし、「一生の間で聴ける曲が1曲しかないとしたら?」と問われたら、イージーリスニングやクラシックから1曲セレクトしようと思っていた。
 何度聴いても聞き飽きない、嬉しいときも悲しいときも、この曲で癒される。そんな1曲を選ぶとしたなら。

 でも、今なら。
 きっとこの「Can’t take my eyes off you」を選ぶ。
 フランキー・ヴァリ氏の歌が、声のトーンが、周波数が、私の耳にほとんど違和感がない。
 曲が終わったあとも、まだ耳元で余韻が残るような。それがちっとも不快じゃなく、不思議と耳に心地良い。
 甘いキャンディーやチョコレートが、口の中の温度でゆっくり、とろりと蕩けるみたいに。
 耳元で囁くような甘い声が、オーケストラの音と、ゆっくりと絡んで、ほどけて、また絡んで。
 フォーンの間奏のあとには、声はさらなるひとつの楽器となって印象深く響き、時に甘く蕩けて音と声が絡み合って流れ込んでくる・・・。
 耳で「聴く」というより、「感じる」が、感覚的に近い。
 聴いてる自分の顔に、自然に笑みが浮かぶのを感じ、幸せが降り注いでくるような気分になる。
 大音量の音の洪水の中に、身体全体を、この声に、音楽に、浸してみたいと思う。

 好きになったら、とことんしつこく追いかける私。(「私は歌に恋をする」参照)
 しかし今回の恋は楽勝だった。
 歌手名もわかる。タイトルもわかる。曲は当然知っている。
 なので、躊躇することなくアルバムを買って、他の曲もいろいろ聴いてみた。
 ザ・フォー・シーズンズとして、ファルセットで歌う声は、さながら、甘い甘いマジパンやマカロンのようであり、ソロで歌う声は、甘いけれど甘すぎず、例えるなら、りんごの甘さだけで焼き上げる素朴なアップルパイのようだ。
 フランキー・ヴァリ氏の多彩な声は、様々な音楽を生み出す。
 でも私は、やっぱりフランキー・ヴァリ氏のソロ曲が好き。
 例えば、「To give」で、羽生結弦氏がフィギュアスケートを滑ったら、すごく印象深くて美しいと思うし、フレッド・アステアなら、どんなに優雅で美しいダンスを披露するだろうと想像してしまう。

 それでも。
 やはりこの「Can’t take my eyes off you」が一番好き。
 有名な曲だから、好きなんじゃない。
 ただ、好き。

 星の数ほどある音楽の中で、ただ好き、だと思える曲がどれくらいあるだろう?
 そんな曲を、長い長い時間を経てめぐり逢えたのは、とても幸せなことなのかもしれない。


 私が味わった感動を話したところ、「大げさやなぁ。たかがアメリカの歌謡曲やん」と言う人がいた。私より音楽に関心が薄い人なので仕方ないが、想いを、どれだけたくさんの言葉で表現しても、自分が感動したことの10分の1も伝わらないものなのか。
 確かにそうだ。要は、聴く側にとって、好きか、嫌いか、ただそれだけのこと。
 私は好き嫌いが激しい性質なので、嫌いなものもとことん嫌いになるが、好きになると、一途にとことん好きになる。
 しかし。
 この世の中に「たかが」がつくものなんて何もない。
 どんなものにも、作る側の想いが込められている。
 その「想い」が、心の琴線に触れたとき、自分の中の何かと共鳴したとき、人は感動する。
 私は100%「感覚の人間」なので、感動を表現するのは、感情でしか出来ない。それを大げさだとは思わないし、そういう感情の振り幅が大きいほど、人生は楽しいのではないか、と思う。
 心はいつも透明感を持っていないと、そういった感動には出逢えない。
 前回の記事、「いまを生きる」で書いたことの重複になるけれど、一瞬一瞬を全力で生きなければ、時間は飛ぶように過ぎ去ってしまう。
 人生の中で、素敵な出逢いはそんなに多くない。心をクリアに、両手を常にかざしておかなければ、出逢いのチャンスなんてあっという間に通り過ぎてしまう。
 好きなものを好きと言い、感動したことを素直に表現する。そんな簡単で素敵なことをしないなんて、極論を言えば、生きながら死んでいるようなものだ。


 
 邦題の「君の瞳に恋してる」は、「君の瞳に乾杯」のハンフリー・ボガートを彷彿させる名和訳だと思うが、私は原題の「Can’t take my eyes off you」の方が好きだ。直訳の、「君から目を逸らすことが出来ない」の方が、グッとくる。

 ひと目見ただけで、一瞬にして恋に落ちる。
 目を逸らすことが出来ないくらい、完璧で魅力的な女性。
 そんな風に愛されることが出来るのは、一体、どんな女性なのか。
 舞台や映画と違って、歌には映像がない。
 だからこそ、聴く側の想像が膨らむ。
 曲と、歌詞と、声。
 どの魅力が欠けても、時代を超えて長く残る名曲にはならない。


 歌詞は、一冊のシナリオと同じだ。
 5分に満たない時間の中に込められた想いで、物語を、人間を、描き出す。


 音楽にあまり興味がないから、余計に、素晴らしい音楽に出逢うと感動する。
 素敵なひとと出逢った瞬間のように、この歌に再びめぐり逢えたことに感動する。
 そして。
 感動は、何かの原動力になる。
 
 シナリオを書く原動力に?

 もちろん。それもある。

 しかし、人間の見えない力が、どこでどう作用して、どのような縁を導くのか?
 それが、次回の不可思議な縁に繋がっていくのであります。

 まだまだ引きが弱いかな(笑)
 とりあえず、次回は近日中に。

 


2013-07-02 19:24  nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
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nice! 3

コメント 4

猫たぬき

こんばんは、COLEさん^^; nice!ありがとうございます♪
だらだらと止め処なく長いだけの文章を(笑)、読んでいただけてるのだなぁと思うと嬉しいです。いつもありがとうございます^^;


by 猫たぬき (2013-07-28 02:57) 

猫たぬき

こんばんは、だい吉さん^^; nice!ありがとうございます♪
お元気ですか?

by 猫たぬき (2013-08-21 22:40) 

あすなろう

こんばんは~。
ご無沙汰しております。
by あすなろう (2014-07-11 19:56) 

猫たぬき

あすなろうさん、ご無沙汰しております^^;
nice! ありがとうございます。
お元気ですか?
フランキー・ヴァリ&ザ・フォーシーズンズは、世代的にはいかがなのかしら?^^;
by 猫たぬき (2014-08-02 16:00) 

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