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違和感のない出逢い Ⅷ 確信の不思議。  [演劇の話]

 皆さま、お元気でしょうか? 猫たぬきでございます。

 前回、前々回からの告知通り、去る11月9日、10日、11日と三日間、難波の上方ビルにあるトリイホールにて、日ナレ付属劇団、摂河泉21による舞台、「DOOR!~開けるべきか、開けざるべきか~」が上演され、滞りなく、千秋楽を迎えました。

 これを書いているのは、打ち上げが終わって、大阪、深夜のとあるファミレス。
 公演の三日間は難波で宿を取ってたのですが、打ち上げは千秋楽の日じゃなくて次の日だったので、帰りのチケットを変更して、大阪で宿取るかと思ったのですが、ホント、私は深夜族。
 公演三日間も、宿に帰っても寝付けず、シャワーを浴びて、どうにかこうにか無理にでも寝てしまおうと布団に潜り込んでも、2時間眠ると起きてしまう・・・。ベッドにいるより、風呂に入ってる時間の方が長かった気がする。なのに、チェックアウト近くなると眠くなるんだから、たちが悪い。
 長いこと昼夜逆転生活を続けていると、世間一般の時間には身体が機能しないなぁ・・・。
 いつも思う。
 ホテルって、どうして、昼3時チェックイン、朝10時チェックアウトなんだろう?
 夜型人間だっているはずなのに、なぜ深夜12時チェックイン、夕方5時チェックアウト、みたいなのを作らないのだろう・・・? 夜ホテルの部屋で仕事して、朝眠って昼に起きて、ゆっくりお風呂に入って、遅いランチを食べてからチェックアウトしたい人だっているだろうに。
 世の中は、やっぱり多数派の感覚だけで運営されるものなのね・・・。
 ・・・てなわけで、宿を取らずに深夜のファミレス。
 打ち上げ会場から店まで案内してくれた財津さん、辻井さんもお帰りになり、ひとりファミレス。

 
 深夜のファミレスは嫌いじゃない。
 深夜の散歩が大好きで、普段でも、気が向いたら、パソコン片手にふらりと出向くこともある。
 今回は、荷物が多くてパソコンを置いてきたことを悔やみながら、手書きで、このブログの下書きをすることにする。
 鉄は熱いうちに打て、感動は余韻が大きいうちに書け、と。
 ・・・しかし、手書きってパソコンの三倍時間がかかるなぁ・・・。

 さてさて。
 ・・・お? 猫たぬき、さっそくブログでネタバラシか? と、お思いでしょうが、そこは、天邪鬼な猫たぬき。そうやすやすと書くわけがない!!(笑)
 今回は、まだまだ序章です。この舞台で、10作くらいかけるくらいネタはあります。
 しかも、今日のブログは長いです!! 気合無き者は、脱落するでしょう。
 そうですな、今回はまず、舞台のセットと照明からご紹介しましょう。
 お芝居を観に来ていただいた方には、復習として。(何の?)
 観に来ていただけなかった方は、想像を駆使して、頭の中で舞台を描いてみてくださいませ♪

 

 今回お世話になる劇場は、普段は寄席などを多く上演するホール。座席数もそんなに多くはないので、チケットは日時予約制となっていました。
 私は今回初めて、脚本で参加させていただいたので、摂河泉21さんの芝居チケットの売れ行き状況はわからなかったけれど、予約状況では、楽日の夜公演を残して、すでに満員御礼という、盛況っぷり。
 せっかく三日間お世話になるのだからと、軍手持参で劇場入り。
 スタッフの手が足りないところをお手伝い(足手まとい??)しながら、舞台裏をみせていただいていると、当日予約が入ったりして、急遽座席を確保するため椅子を増やしたり、通路を狭めたりなど、試行錯誤をしながら、予想を上回る集客数に。
 連日の満員御礼で、ホールの管理人さんから、「舞台でこれだけの集客は初めて」との嬉しいお言葉をいただきました。
 
 座席を予想以上に確保出来たのは、三方向に客席を作れる舞台セットのおかげ。
 今回、舞台美術を手掛けてくださったのは、大阪で活躍する柴田隆弘氏。
 ものすごくお忙しい人らしく、結局私はすれ違いでお逢いできなかったのですが、私が想像するお人柄は、それほど現実と違いはないと思う。

 ホールに組まれたセットを見た瞬間、心の中で、「(この舞台)勝ったな・・・(フッ)」(何に?!)と思いました。思ったというより、それは確信に他ならない。
 なぜなら、その目の前に存在する異空間は、脚本を書きながら私が想像していた以上に、テーマや、伝えたい意図を的確に捉えたもので、脚本行間から想像しなければ、絶対に出来ないだろうセットだったから。
 作品を生み出す人は、その作品を見れば、そのひとがわかる。
 セットを見た瞬間、大好きになった。

 「DOOR!」から察するに、壁一面の無数のドア、ドア、ドア!
 しかも、それは単に描かれた絵ではなく、立体的に作られたドア。
 パステルカラーのかわいらしいドアは、そのドアの向こうにどんな人が住んでいるだろう? と想像を掻き立てる、見てるだけで楽しくなるようなドア。
 そして、廊下を挟んで、客席側は、主人公、貴之の住んでいるアパートの部屋の再現。
 六畳分ほどの大きさの板間のワンルーム。

 そして。
 ポツンと立てられている、枠だけのドア。


 さて。
 この「枠だけのドア」が、何を意味しているか、おわかりでしょうか?

 
 もちろん、セットを組むのは「観客が観やすいように」ということが大前提です。
 客席はひな壇を作って後ろの人も観やすいように配慮し、今回の舞台セットは、中央の貴之の部屋を、観客が囲む形で、三方向に客席が作られています。
 廊下を歩いてくる人物が、どの位置に座られた観客からも見えるように、との配慮でもあると思います。
 しかし、それなら、ガラスのドアでも構わない。
 あえて、「枠だけのドア」にしたのは?

 それは、脚本の行間にしか書かれていないこと。

 柴田氏は、舞台美術の世界で大きな賞をお取りになった有名な方、と前情報としてお伺いしていましたが、そんな肩書きを聞いていなかったとしても、きっと私はこのセットをみた瞬間、「すごい人だ」と思ったはず。
 実際、ドア枠だけだとわかった瞬間、鳥肌が立ったもの。
 この話には、この舞台美術セットでしかありえない。
 私の想像の中のあやふやな感覚が、今、目の前に現実にカタチになって存在していた。
 なんとも、違和感のない表情で、息づいている。
 一瞬にして、「これを作った美術さんは、すごい人だ!!」と確信しました。


 貴之の部屋は、何の小道具もない単なる板の間。
 観客の気が散る要素になる家具などは何もない。それは私が脚本上で示した、役者泣かせの指示。
 この舞台は、魅せる役者と、この素晴らしい美術セット、あの抽象的なドアだけで、いい。

 「なぜ、あのドアなのか?」
 その謎がわかる方は、きっとこの舞台「DOOR!」を観て、200%楽しめた人であろう。


 さてさて。
 場当たり稽古が済んだら、お待ちかねのゲネプロ。
 師匠には、「作家が客席に居たら、役者が緊張する」とご忠告をいただいたにも関わらず、ゲネプロから公演の三日間ずっと、客席で観させていただいてました。(またまた役者泣かせ・・・)

 客入れの時は、壁一面のドアに照明が点いている。
 ちょうど、家の明かりが外へもれている感じ。
 パステルカラーのドアの向こう側に住む人々。幸せそうな家の明かり。思わず、「ただいま」と、そのドアを開けたくなる。
 芝居が始まると、場内は暗転する。音楽が高鳴り、そのままフェードアウト。すぐさま、激しい雨と雷の轟音がして、芝居が始まる・・・。

 この芝居、一幕一場、しかも深夜から早朝という時間帯。
 私は、ほとんど照明のことを考えておらず(照明やってるくせに?)、シナリオにも「夜」とだけしか表記していない。
 それを、今回の照明を担当してくださった徳田芳美氏は、微妙な色調の変化で、役者の心理描写を巧みに表現してくださっていた。
 舞台を、役者を、より輝かせる明かり、色彩。
 それは、完全なるプロのお仕事。

 前に書いたブログ「恋に、似ている。~私が照明を始めた理由~」に、悔しい思いを書いたが、「悔しい」と思うのは、素人だからなんだなぁと痛感した。

 舞台は生き物である。
 どれだけこの日のために稽古をしていたとしても、舞台上では、どんなアクシデントがあるかわからない。
 役者がセリフを飛ばして、シーンを前後させてしまったり、丸ごとシーンが抜け落ちることもあるかもしれない。
 それでも。いつも、どんなときも、堂々としている。
 プロは、間違わない。
 何があっても、舞台上を色彩で支える覚悟がある。
 それは、培ってきた自信があるからだ。

 プロのプライドは、その自信に裏付ける努力が必要なのである。
 失敗したときに言い訳するのは、単なる努力の足りない素人なのだ。
 言い訳は、「逃げ」だ。
 プロは絶対に逃げ出さない。

 そう、確信した。
 またひとつ、勉強させていただいた。

 私は照明でプロにはなれない。
 しかし、脚本ではプロでいたい。
 脚本に関してだけは、絶対に逃げない。
 そのための、どんな努力も厭わない。

 『好きという想いが、私を走らせる』
 ・・・この表現が好きでよく使っているが、昔も今も、好きなもののために生きてる。
 好きなものは、リアルな想像。
 妄想も、想像も、単なる絵空事だけではない。
 想像力にリアルな感覚が伴わないと、誰の心にも響かない。
 今、この瞬間も、周りの人の会話、息遣い、空気感、すべてのものを吸収して、次の作品に登場する人物に繋げたいと思う。
 そう考えると、一瞬たりとて、無駄に出来ない。今の一瞬は、もう戻らない。
 今のセリフ、目の表情、カップを持ち上げたタイミング。
 今、目の前にいる人、横にいる人、この空間にいる人すべての呼吸を知りたい。
 口に出すセリフ、心の中にしまってあるセリフ、それを表す仕草。
 それを記憶しておくことで、私の中に血の通った登場人物が生まれる。
 「そんなことやってて疲れない?」と聞かれるが、それは私の中で、呼吸することと同じ。
 24時間、脚本を書いているわけじゃなくても、私は24時間、何かを考えている。寝ている間も夢をみる。それは、考えていたことの続きだったり、また別のことだったりするけれど。
 それが脚本のためになるかならないか、それはわからないけど、いつも、何かを考えながら生きていることは確かだ。
 私にはたぶん、これしか出来ない。
 こうすることでしか、リアルなセリフは書けないと思うから。

 脚本も、舞台美術も、照明も、舞台を支える屋台骨。
 舞台美術と照明が素晴らしく、拙い脚本を支えてくださって、本当にありがたい。
 舞台当日まで、お互い顔も素性も知らない三人のはずなのに、水面下のどこかで、想いが繋がっていたのではないかと感じるほど、それは見事に合致して、違和感がない。
 公演中、ずっと舞台を観ていた私の目を通して、深く、鮮明に、記憶に刻まれている。
 今でも、ふと目を閉じると、脳裏には舞台が浮かんでくる。
 役者の汗と、情熱と、照明の色彩、役者それぞれの、個性溢れる声で話すセリフも。
 三日間の公演で、舞台のバラシも終わり、すべてが過去となり、日常に戻っている。
 一瞬一瞬が過去となる。それはわかり過ぎるほど、わかっているはずなのに。
 私は未だ日常に戻れない。意識だけは、まだ夢の中にいるようだ。
 ボロボロになった「DOOR!」の台本は本棚にしまわれ、役者さんたちは、次の芝居に向けて新しい台本を手に取り、セリフを覚えている頃だろう。
 けれど、未だに私の中では、「DOOR!」が、深く息づいている。
 私は今も、貴之であり、倫子であり、後藤であり、詩織であり、哲平であり、里美であり、マリであるのだ。
 脳内にある情景は、とても鮮明なのに。
 触れられるくらい傍にあるのに、だけど決して触れられない。
 痛みの伴う夢のような、息遣いが感じられる幻のような、いや、それよりももっとリアルな何か。
 それを、一体何と表現すればいいだろうか・・・?
 



 さて。
 ここまでで、今日書きたいネタは約、半分。今、どれくらいの読者が残っているでしょーか?!
 「水曜どうでしょう」ではないですが、目がお疲れになった方は、一気にみる(読む)と、身体を壊す可能性がありますので、二日に分けて読むことをお勧めします^^;

 今回、大阪での舞台を喜んでいたのは、他にも理由があります。
 まさしく、「違和感のない出逢い」にふさわしい。
 実は、今回の舞台に、私のブログの数少ないご常連愛読者、だい吉さんが来てくださったのです!!

 私が不思議な力を持っているのか、はたまた単なる偶然なのかはわからないけれど、私は、逢いたいひとには、必ず逢うのである。
 それは、「いつか逢えるかも」という、希望的観測ではなく、「いつか必ず逢う」のだ。
 日本語的に考えれば、「いつか」の後に、「逢う」という断定的な言葉は続かないものだが、私の場合、なぜか「逢える」ではなく、「逢う」と言う方がしっくりくる。

 今回は、満員御礼続出なので、だい吉さんにも、チケット予約をしてもらっていた。
 しかし、しかしである。
 私たちは、お互いの顔を知らないのである。

 今回、客席案内のお手伝いをしていたので、開場すれば、私は劇場内でお客さまを迎える。
 顔を知らない、だい吉さんが入ってきてもわからないでは困るので、受付の人に、「この方(だい吉さん)が来られたら、(中に居る)私に教えてくれる? 顔を存じ上げないから、必ずお名前確認してね」と念を押すと、相手は「?」という表情をした。・・・う~ん、その反応、当然だよなぁ。

 私は神を信じない無神論者だが、縁とインスピレーションは信じている。 
 「このひととは、いつか必ず逢う」と思うと、いつの日か、必ず「逢う」のだから、本当は、おそらく、教えてもらうこともなく、入ってきた瞬間に「だい吉さん」だとわかるだろう。
 開場しても、だい吉さんは現れない。
 トリイホールの場所がわからず迷ったか? 
 それとも急なお仕事か? はたまた石が出たか?!(←また?)と、思っていたら、開演ギリギリに、だい吉さんが会場に入ってきた。
 場内は、すでに少しの明かりを残して暗転しており、音は止んでいた。
 案内してくれた受付の人が「この方です」と、目線で合図をくれた。
 しかし、その前に私たちは、顔を合わせた瞬間、お互い「だい吉さんだ」「猫たぬきだ」とわかっていたように思う。
 だが、ここで、「どーも、どーも」と挨拶出来る状況ではない。
 とりあえず、席についていただいて、まず芝居に専念してもらうことになった。

 まもなく完全暗転となり、曲が場内を包み込む。芝居の始まり。

 だい吉さんは、慌てて駆けつけ心の準備もないままの観劇だろうが、無常にも、芝居は進んでいく。
 この芝居、序場は展開が早い。
 果たして、理解していただけるだろうか・・・?
 
 いや、まず、だい吉さんは、「貴之!」と呼ぶ倫子のセリフに、心の中で爆笑したことでしょう。(なぜ爆笑するかわかったあなたは、間違いなく「どうバカ」です!!)
 つかみは、オッケイ!!(・・って、古っ!!)

 芝居は進み、ドタバタ場面から、一転してシリアスな場面に・・・。
 客席からは、ちらほら鼻をすすり、ハンカチを目尻に当てている人の姿も見える。
 舞台が終わり、客席ではアンケートを書いてくださっていたお客さまが帰り始めると、私は、だい吉さんに駆け寄った。

 「はじめまして、猫たぬきです」
 「はじめまして、だい吉です」

 何とも、奇妙な挨拶である。
 間抜けと言えば、これ以上、間抜けな自己紹介はないだろう。

 だい吉さんとのブログでのお付き合いは、もうかれこれ6年になるだろうか?
 ブログを始めてから、ほぼ最初の段階から、彼はもうブログ読者だった。
 水曜どうでしょうネタに反応していただけたのか、ブログ上のコメント欄でコメントのやり取りをして、いつしか彼が自分の携帯のメアドをコメント欄に載せるという暴挙に出て(誰かが悪用したらどーすんの?!)、それからは、メールでもやり取りを初めて親交を深めた。
 お互い、一度も逢ったことはないのに、彼の愛する大事な「嫁さん」さんのことや、愛息の「なおっさん」は、出産から育児状況まで知っていて、まるで違和感なく、遠く離れて住んでいる親戚同士のような感覚だった。

 彼は、まさに、メールやブログの人物と同じだった。
 名は体をあらわすというが、やはり、文章は人を表す。
 彼のやわらかい、あいきょう溢れる文章は、彼の風情に似ていた。
 ひと目で好感が持てるひと。
 それが、「だい吉さん」だった。
 彼からも、私は「思ってたイメージ通り」と言われたが、果たして、彼はどんなイメージを私に持っていたのだろう???(怖くて聞けん・・・)

 以前、「違和感のない出逢い」でお逢いした、これまたブログ仲間の、みこさん、kiyoさん、
kumasuさんも同様、出逢ってすぐ、自然と呼吸の合うひとたちである。
 逢ったことがないのに、逢ってすぐ「わかる」ひと。
 今や、星の数ほどあるブログの中から、何の接点もないのに、わざわざ私のブログを見つけ出し、何となくコメントしあう仲になるだけでも、すごいこと。
 それが、離れた土地から、逢いに出掛けることもすごいこと。
 でもきっと、それはどこかで、縁が繋がっているから。

 実際、4年前に、姫路で音楽学校の卒業公演のキッズミュージカルを書いたときも、だい吉さんにはお知らせした。
 その時は確か、仕事か何かで来られなかったが(公演が1日だけだったしね)、その時は、「残念だね~」とお互い言っただけで、それほど何かを感じなかった。だけど「もう逢う機会はない」とは思わなかった。
 その時は、まだ逢うべきときではなかっただけなのかもしれない、と。
 何の根拠もなく、確信していた。
 おそらく彼とは、いつかどこかで、必ず逢う、と。

 今回、キッズミュージカルの主宰者であった、音楽学校の先生も、この舞台を観にいらしてくれた。
 彼女とは、季節のお便りやメールのやり取りはすれど、お逢いするのは、キッズミュージカルからだから、なんと4年ぶり。でも、彼女とも、きっとまた必ず逢う、と思っていたので、今回もお逢いできた。変わらずお元気で、逢えてとても嬉しかった。


 『ひとは、出逢うべきひとと、出逢うべき時に、必ず、出逢っていく』
 と、私は常に思っている。

 人との出逢いは、そういう縁、不思議さを持っている。
 今回出逢った、舞台美術の柴田氏、照明の徳田氏、演出の東村氏、劇団 摂河泉21の役者さんたち、澪クリエーションの皆さまたちとも、そう。
 今回の脚本の話が来る、およそ半年前まで、双方、お互いがこの世に存在していることすら知らなかった。
 だけど私たちは、この同じ地球上で、同じ日本の地で、同じように朝を迎え、仕事をし、映画を見たり、本を読んだり、食事をしたり、恋をしたり、失恋したり、泣いたり、笑ったりしていた。
 真夜中に月と散歩・・・は、しないかもしれないが、満月の夜には、違う土地で、きっと同じように空を見上げて、月を眺めていたかもしれない人たちと、知り合い、一緒に仕事をし、作品を作り上げることになれるなんて。1年前には想像もしていなかった。
 しかも、今回の主人公「貴之」役を演じてくださった辻井芳暁さん、「哲平」役を演じてくださった有馬貴弘さんは、今年劇団に入ったばかりだとか。
 もし、去年の脚本を書いていたのだったら、出逢えなかったのかもしれない。
 それとも、別のどこかで、全く違う機会に、出逢っていただろうか。

 もしも・・・? は、いつでも想像の世界。
 ホントのようで、ホントではない。
 今回、この瞬間に、皆さんと出逢えたのは、何か意味があるのだろう。
 大阪と静岡、距離は離れているけれど、逢う、逢えないは、きっと、心の距離感。
 逢いたいひととは、どんなに遠くにいても逢うだろうし、逢いたくない人とは、ご近所さんでも逢わない。
 逢いたい気持ちが、逢う機会をつないでくれる。
 

 私は確信してる。
 だい吉さんとは、また必ず「逢う」だろうし、今回舞台で関わった人たちとも、いつかどこかでまた「逢う」だろう、と。
 想いは、縁を結んでくれる。
 そう、信じてる。

 


2012-11-16 10:23  nice!(4)  コメント(5)  トラックバック(0) 
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コメント 5

だい吉

こんばんは^^
舞台の大成功おめでとうございます^^
久しぶりの舞台は笑いあり号泣ありでいっぱい楽しませて頂きました^^
「貴之!」の件ですが…
実は最初は判らなくて途中で気が付いて、しばらくにやけてる顔が止まりませんでした(笑)
「愛があるわ~」って(笑)

猫たぬきさんと同じく文章から受ける印象で、お会いした猫たぬきさんには違和感を感じませんでした^^

あ、そうそう撮らせて頂いた写真をみて「綺麗な人ね~」って喜んでおりました^^

今度はちゃんと嫁さん&なおとを連れて行きますね^^

お忙しいのに、わざわざ下まで降りて、お見送りして頂いてありがとうございました。

本当に楽しかったです^^

また、お会いできる日を楽しみにしております^^/

どうバカ大阪支部より…

by だい吉 (2012-11-18 00:07) 

猫たぬき

こんばんは、だい吉さん^^; nice!ありがとうございます。

今回は、ご来場ありがとうございました!!
大成功と言っていただけてホント嬉しいです。
舞台美術と照明の素晴らしさ、演出家と役者で作り上げた舞台上の世界、スタッフの細やかな気配り、その情熱のすべてで連日のお客さまを呼び込めたのだと思っています。
舞台を作る上での信条は、「誰かが誰かを想う」ことに尽きると思うんですよね。舞台上でも、舞台袖でも。
それが伝わるから、観に来てくださったお客さまに、何かしら心の動きを感じていただけるのだと。

前半は、細かいノリツッコミと、全員、どこかで見せ場がある、という、ほとんど吉本新喜劇風な作りだったでしょ?^^; 未だ、大阪魂健在ですわ(笑)
「貴之」には、愛がありますよ~。
書いてる二次元上ですでに愛してるんですからねぇ、三次元になったら愛は倍になりますて。
貴之役の辻井さんにホレてまいましたもん^^;(衝撃の愛の告白か?!)

文章で見破られるんですねぇ。もっと慎まないと(今さら何を?!)
嫁さんさんの「綺麗な人ね~」は、かなり「盛って」くれてますね?!
綺麗なんて言われ慣れないので、漢字すら思い浮かびませんよ(笑)
↑扉の動物に激似ねぇ(笑)ならわかるのですが^^;

この次はぜひ、美しい嫁さんさんと、なおっさんもご一緒に!!^^;
(嫁さんさんと「お着物対決」したら、着る前から絶対負けてる猫たぬきです・・・)

私もだい吉さんにお逢い出来て嬉しかったです。
でも必ず「逢う」と思ってましたからね^^;
この次もまた必ず。「逢う」日を、私も楽しみにしています。

P、S 
どうバカのお土産は、嫁さんさんにも面白さ、伝わったかなぁ~?(笑)

by 猫たぬき (2012-11-22 05:49) 

猫たぬき

こんばんは、COLEさん^^; nice!ありがとうございます。
by 猫たぬき (2012-11-22 06:00) 

猫たぬき

マンチ軍団さん、nice!ありがとうございます^^;
by 猫たぬき (2013-06-26 02:42) 

猫たぬき

お久しぶりです、あすなろうさん^^; nice! ありがとうございます♪
by 猫たぬき (2013-06-26 02:42) 

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